2019年8月19日月曜日

山口西京ウオーキング協会2019年8月例会 防府・富海の歴史と海水浴場を訪ねて


2019年8月4日(日)快晴、14名参加


防府(ほうふ) 富海(とのみ)の歴史と海水浴場を訪ねて
琴音の滝で涼み、伊藤 井上両公上陸記念碑「英国密航帰り」幕末活躍の飛船・海船業など
 
 
 中国地方・四国地方から歴史愛好者をお迎えして張り切ってウオーク、余りの暑さにコース最東端の脇古墳は遠望(位置確認)に留めて引き返し、後に当該ブログで下見時写真などで補足する事となりました。
防府市富海は温暖風光明媚な処で、古墳時代後期の脇古墳(わきこふん)付近から漁業の痕跡、奈良時代には国津姫神社が宗像三女神を祀り創建。中世では毛利元就の11代前の毛利時親「吉田毛利氏始祖」の隠居所と伝えられ墓所があります、滝谷寺(りゅうこくじ)には毛利氏に滅ばされた最後の大内氏の大内輝弘「大内義隆の従兄、母は義隆の姉で大友宗麟の妻」のお墓。
富海領主の内藤元盛は藩主毛利輝元に命ぜられ「大阪の陣」で敗死、同行した息子の内藤玄珍(ないとうげんちん)は徳川幕府を恐れ主命で滝谷寺で切腹させられました。
江戸時代初期の富海領主は福原広俊でしたが、徳山藩主毛利就隆が強引に奪い取り。後の徳山藩の一時改易に繋がった遠因と考えられています。毛利宗家の最後の藩主は毛利元徳(もうりもとのり)、徳山藩毛利家から養子で迎えられました。
幕末には伊藤 井上公が英国密航帰りに入江石泉(いりえせきせん)を訪ね時節情報収集、入本屋で衣裳を整えエビ天丼を食べ山口政治堂(政治は萩城から山口城へ)向ったと伝えられています。
また飛船問屋大和屋政助の土蔵(船蔵)は生野挙兵に敗れた中山忠光卿を匿い、徳地で奇兵隊参謀の山県有朋に会い富海に逃れた高杉晋作を嵐の中を飛船で下関へ逃亡させました。
飛船(とびふね、)は少人数や小型貨物輸送に大活躍、吉田松陰先生の江戸遊学や鳥羽伏見の戦いなどの急ぎ旅に大阪まで利用されました。
 
*富海資料
 検索 ➔ 富海史談会(とのみ しだんかい)

過去の山口西京ウオーキング協会2013年8月例会 「海運で栄えた飛船の富海歴史巡り」
 検索 : 右欄外のブログアーカイブ  2013 ➔ 8月 
 
富海全体図 「富海史談会、史跡めぐり富海」

富海遠望 : 左上は椿峠、中央はJR富海駅、中は富海海水浴場  旧山陽道の橘坂より北東を望む
左上は大平山山頂631.3m、中は中国自動車道と竜谷寺、右の山中左裾に琴音の滝


国津姫神社の屋根瓦
 

【経 路】 一般向、約10㎞
 スタート:JR富海駅10:07~JR洲の鄕踏切10:09~〈鮎子川沿い〉~R2号富海1号函渠10:12~〈R2号歩道〉~R2号公民館前交差点10:16~琴音庵前10:21~門前会館(内藤玄珍の位牌)10:22~山陽自動車道高架下(水分補給休憩)10:23/27~径へ右折10:28~琴音の滝(納涼休憩)10:39/45~左折10:54~竜谷寺(雪舟庭、大内輝弘の墓、内藤玄珍の切腹)10:56/11:07~山陽自動車道高架下11:10~R2号公民館前横断歩道11:18/22~〈R2号歩道〉~鮎子川橋・富海バス停11:23~R2号分れ・三国工業前11:24~県道58号線分れ・下の径へ11:25~〈JR富海駅裏、北側〉~JR浜婦知踏切11:30/31~右折11:31~JR橘坂踏切南詰11:32~富海海水浴場(水分補給、トイレ休憩)11:35/49~鮎子川の橋11:51~元漁協〈西浜〉・きんさんねー前11:57~伊藤・井上両公上陸記念碑11:57/58~小田海僊生誕地の碑12:00~JR高架下12:01~〈船蔵通り〉~大和屋政助船蔵12:04/05~酒屋前・船蔵通り分れ12:07~〈東浜〉~国津姫神社浜鳥居(鳥居に飛船組中の銘)12:11/12~国津姫神社(見学、水分補給)12:16/20~脇会館・新川川の橋12:22~脇古墳の遠望12:26~富海郵便局12:34~〈旧山陽道、県道189号線〉~清水家住宅前12:36~富海本陣(大河ドラマ篤姫様ご休憩)12:38/39~スーパーはらだ前12:42~JR中町踏切12:43~鮎子川の鮎子橋12:45~神社(鳥居に寛政十五年銘)12:46~入江石泉・大和屋政助の墓12:47~右折12:47~ゴール:JR富海駅12:49



Ⅰ、スタートからR2号へ
 駅前でストレッチを行い飲料水の補充とトイレ済を確認、大掲示版の富海観光マップ前で本日のコース説明を行い暑い中を空元気で出発しました。
JR山陽本線・富海駅の全景  中段右に大掲示版

富海観光マップ 大掲示版

JR沿線沿い(上り側)

JR洲の郷(すのごう)踏切

鮎子川、上流を望む

R2号の富海1号函渠、左上は富海バス停、右上は鮎子川の鮎子川橋


Ⅱ、琴音の滝へ
 R2号の公民館前交差点を右折して竜谷寺の参道へと北上、琴音の滝を整備されているボランティア団体「琴音の風」の琴音庵を経て、門前会館の内藤玄珍(大坂の陣の悲劇)の位牌を拝み、山陽自動車道高架下で休憩後に右折して琴音の滝へ向いました。
正面は大平山、右に富海公民館(富海史談会事務局)、案内看板(船平山、琴音の滝)

琴音庵

左は門前会館

同上。内藤玄珍の位牌、大坂の陣の顛末で主命で切腹させられました

山陽自動車道高架下、水分補給


Ⅲ、琴音の滝
 案内・説明板を拝見し整備された山道をゆっくりとボランティア団体「琴音の風」の皆様に感謝しながら進む、滝で不動明王を暫し拝み足元に気を付けながら無事に下山しました。
案内板、今回は右道を進む

説明板

階段を登る

水路沿い

賽の河原

琴音の滝、不動明王

滝見処 琴音、滝を観ながら休憩

下山


Ⅳ、竜谷寺(りゅうこくじ)
 大勢の石造り観音様に迎えられながら観音堂にお参り、開基は大内義弘で大内氏所縁の雪舟庭や北辰妙見大菩薩などを拝見しました。大内輝弘は伯父の大友宗麟の支援を受けて家の再興を期し山口に進行しましたが敗れ、山陽道の茶臼山古戦場で自刃した主従のお墓が在ります。
竜谷寺

同上の全景


観音像の列

観音堂

本堂

大内輝弘主従の墓

同上

雪舟庭

北辰妙見大菩薩


Ⅴ、復路をR2号へ
 富海湾を隙間から望みながらの下り坂は楽チン、R2号公民館前押しボタン信号は道路照り返しでトテモ熱くイライラしましたが待ち時間はたった4分でした。
竜谷寺の下から南を遠影、左中に富海湾(富海海水浴場)の八崎岬を望む

R2号の公民館前横断歩道、車輛交通が多く押しボタン信号は待たされる


東側の椿峠(旧山陽道)は渋滞が多い、道路は拡幅工事中で今後に期待

西側の防府方面を望む、R2号は直進、左折は県道58号線(旧R2号) 

鮎子川川橋から、県道58号線(旧2号)に道なりに歩道を進む

 Ⅵ、富海海水浴場へ
 R2号と県道58号線を進むが三国工業前から歩道が無くなり、径をJR富海駅裏(北側)から山陽本線踏切を渡り海岸へと向いました。
県道58号線の歩道が無くなり左下の径へ向う、右に上がる道はR2号線に繋がる

奥のJR富海駅裏側の径に向う

奥のJR富海駅裏側に向う

JR山陽本線北側沿い、手前は浜婦知踏切、奥は橘坂踏切

JR浜婦知(はまふち)踏切

JR山陽本線南側沿いを海側に左折、右奥はJR橘坂第1踏切
JR橘坂(きつさか)第1踏切


Ⅶ、富海海水浴場
 伊藤・井上両公が英国密航帰り姫島(大分県姫島村、狐踊りが有名)から海路で富海へ、島は天気が良すぎて霞んで微かに見えました。
防府出身の作詞家で今年亡くなられた有馬三恵子氏は富海海岸を「♪ 誰もいない海 二人の愛を確かめたくて・・・」、南沙織さんデビュー曲『17歳』で表現され後に森高千里さんがガバーしました。
富海海水浴場

同上、西から東を望む

左は防府市の野島、右に微かに見える姫島(大分県姫島村)は伊藤・井上両公の英国密航帰り

駐車場利用のお願い

綺麗なトイレ&海の家。 中央の山の割れ目、旧山陽道の浮野峠 

鮎子川の河口

鮎子川上流を望む、黄色ガードレールは旧山陽道・鮎子橋(県道189号線)


Ⅷ、東浜の散策
 元漁協建物 きんさんねー、伊藤・井上両公上陸記念碑、小田海僲(おだかいせん)生誕地の碑
東浜、背後は大平山と山陽自動車道

きんさんねー
 地元海産物たこ飯などが美味しい定食屋さん、元漁協施設を再利用されています。
全景、入口は右側(西側)

同上、入口の営業時間など情報

伊藤・井上両公上陸記念碑
 姫島沖から英国軍艦に連れられて帰国(帰藩)、下関戦争・攘夷戦争阻止の為に急いで英国密航留学から帰らせれました、姫島には幕府海軍貯炭施設があり計られたのでしょう。
上陸記念碑

同上、情報案内板

同上、約10年前に更地になりました(昔の写真CDが不明中です)

同上写真

同上説明板

小田海僲生(おだかいせん)生誕地の碑
 富海に生まれた海僲は京都南画界の重鎮になりました、吉田松陰自賛肖像六幅を画いた松浦松洞(まつうらしょうどう)はお弟子さんです。
小田海僲生誕地の碑


Ⅸ、富海の船蔵通り
 富海本陣を背後に控えた飛船問屋は人や貨物輸送に従事、情報も集まる処で政治・経済を支えました。
説明板

案内板、JR山陽本線の貨物電気機関車の桃太郎  桁下は1.6m

船蔵通り
 左側(西側)が船蔵で右側(東側)が海岸線、家まで船が入る構造でしたが埋め立て、塩田になりましたが後に田畑になりました。
船蔵通り

船蔵の石積と階段

船蔵通り

飛船問屋大和屋政助の土蔵(船蔵)
 「天誅組の変」で長州に逃れた中山忠光卿を2階の土蔵で匿い、高杉晋作は下関へ飛船で逃亡し福岡で勤皇歌人の野村望東尼(のむらぼうとうに)に匿われました。
看板

説明板

全景

船蔵通り
 左側は元海岸線で江戸時代(文政6年、1823年)に塩業振興の為に埋め立て、浦開作となりましたが大波災害を受けて壊滅しました。
北から、大和屋政助の土蔵を望む

酒屋さん前、右折(東側)し東浜へ

堤防の東側(左側)、東浜へ

東浜、遠くに北側の大平山を望む


Ⅹ、国津姫神社(くにつひめじんじゃ)
 東浜の大鳥居(浜鳥居)に飛船講中寄進の銘があり参道には摂社など、宗像三女神を祀り貿易などが想像される古社です。毛利元就の防長進出時の戦火で焼失し、所縁の厳島神社に関りがあり再建されたと伝えられています。
浜鳥居、左の柱に飛船乗組中の銘、狛犬などにも銘

石柱、摂政宮□□□□□銘

参道、左は石灯籠は摂社でしょうか?

鳥居など

拝殿

昔のお社の基礎石でしょうか?

本殿

石祠群

石碑

本殿


Ⅺ、脇古墳(わきこふん)
 民家の背後に隠れて公道からは探し辛い、新川川の橋詰めの脇会館が探索ポイントです。古墳時代後期の横口式石室、石組は露出し玄室は蓋石2枚で覆われて富海湾が見渡せます。
『ウオークは酷暑で現地近くで遠望位置確認しました、従って下見時の写真を掲載しました』
民家の後ろに隠れる様に古墳があります

標高約10mから、南の富海湾を見渡す

北側の中国自動車を望む

北東の旧山陽道の椿峠を右中に望む

探索ポイントの脇会館、新川川の橋詰め


Ⅻ、旧山陽道の富海地区
 東はR2号の周南市の椿峠から続く。今回は富海郵便局から清水家住宅・富海本陣と入江石泉・大和屋政助の墓などを経てゴールのJR富海駅に無事到着しました。
『旧山陽道は県道189号線(富海停車場線)をなぞります』
旧山陽道案内板と清水家住宅

国の登録有形文化財・清水家住宅
清水家住宅

登録有形文化財証

・富海本陣
 大河ドラマ放映を期に様々な資料が発見されました、江戸にお輿入れ途中に篤姫様が昼食を摂られましたが、付家老は宿泊の領収書を要求したと記録が残っています。
説明板

本陣門

中町の街道筋
 NHK「てくてく旅」で原田早穂(元シンクロナイズスイミング選手)氏が旧山陽道歩かれ、スーパーはらだ&富海本陣などに立ち寄られました。
街道筋

JR中町(なかまち)踏切

神社、鳥居に寛政十五年の銘

JR富海駅付近
 墓地に入江石泉の墓と大和屋政助の墓、JR富海駅にゴール後に富海海水浴場で防府市出身の作詞家有馬三恵子氏の追悼集会を有志で開催しました。
JR富海駅の小さな案内標識、右折を指示しています

勤王の志士、入江石泉の墓「従六位入江石泉翁之墓」

大和屋政助の墓「尊攘義民大和屋政助墓

JR山陽本線 富海駅、無事にゴールしました



・・・・・・・・・・・・・・・ その他、番外の資料など ・・・・・・・・・・・・・・・



①ウオーク終了後(2019.08.04)に富海海水浴場で宴会
 予算の都合などでバーベキューは出来ませんでしたが、坂本龍馬の脱藩ルート話などの歴史話で盛り上がり、生ビールなどが大変進みました。
南沙織『17歳』作詞は防府市出身の有馬三恵子氏の富海海岸を詠った「誰もいない海・・・}を思い出し海岸を眺める、水平線上に歴史舞台(伊藤・井上両公の英国密航帰り)の姫島がだんだん見えてきました。

富海海岸 海水浴とBQQポスター

美味しいツマミ & 生ビールなど

水平線の真ん中に姫島が見え、右奥に微かに国東半島(くにさきはんとう

富海海水浴場の紹介


②旧山陽道の橘坂(たちばなざか)
 橘坂そばから旧山陽道の説明板など情報収集、遠くの島々の大津島・祝島や野島と姫島を眺望出来て感激しました。

案内標識


山陽の旅今昔

旧山陽道の橘坂付

手懸岩と橘坂

手懸岩(てかけいわ、手掛岩)

南東を望む。 手前から富海の八崎岬、周南市の大津島、微かに上関町の祝島

南を望む。 左は防府市の野島、右は大分県姫島村の姫島は微かに


③史跡でめぐる ふるさと富海  富海史談会 A5版、P34
 富海史談会10周年記念、平成12年12月発行で内容が好評のために売り切れになりました

付録 「史跡でめぐる ふるさと富海マップ」







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