2017年10月9日月曜日

山口西京ウオーキング協会2017年10月例会 防府幕末巡り


2017年10月1日(日)曇り、14名参加


防府幕末巡り
維新発動の地 防府、所縁の地ウオーキング
 
 
 坂本龍馬が武市半平太の密書を持って三田尻(防府の古名)に上陸、萩で久坂玄瑞に合う為に萩往還を歩き歴史が動く、また土佐脱藩時も三田尻湊から陸路を下関に2日かけて向いました。
長州海軍の本拠地の三田尻御舟倉跡など、動乱の地を歩くと自然にお墓などの悲しい歴史に出会いますが、明るく楽しく曇天のなかで歴史とウオークを楽しみました。
 
 明治になり群馬県令として世界遺産・豊岡製糸工場の存続活動で名を馳せた、楫取素彦・美和子「大河花燃ゆヒロイン」が上京船便(山陽鉄道未開通)の良い防府岡村町に棲み、近くの英雲荘滞在の毛利の殿さまと良く歓談されたそうです。
 
現地案内板
 
市役所のパンフレット


【経 路】 一般向、約8㎞
 スタート・JR防府駅10:10~桑山公園入口10:23~桑山招魂碑10:33/34~防府市護国神社10:35~長州藩海軍関係墓碑10:36~千城隊等墓碑10:38~遊撃軍墓碑10:39~散策路の階段を下る10:43~野村望東尼の歌碑1046~野村望東尼の墓10:48/53~桑山公園出口・桑山中学校前交差点10:56~鞠生の松原・小烏神社11:06/12~華浦小学校正門前11:16~萩往還を横断11:20~老松神社前11:23~三田尻御茶屋・英雲荘前(トイレ休憩)11:25/32~萩藩御米蔵跡・一馬醤油11:37/39~住吉神社の石造燈台11:45/48~三田尻交番前11:51~三田尻御舟蔵跡11:55/12:00~古の石畳12:02~(長州藩海軍局・御舟手組御屋敷群跡、現在の警固町)~県道184号線横断歩道(井岡武道店前)12:11~男爵楫取素彦・美和子終焉の地12:16/18~ゴール・JR防府駅12:31


◇桑山公園
 関ヶ原で負けた毛利氏は桑山築城を申請するも却下され萩に築き、萩と三田尻と結ぶ萩往還をほぼ直線で普請し、三田尻御舟蔵から御座船で参勤交代に向いました。
高杉晋作の藩内抗争による亡命生活を福岡藩で助け、晋作臨終を下関で見届けた勤皇歌人・野村望東尼(のむら ぼうとうに)の墓、楫取素彦などの尽力で薩長連合軍出陣の三田尻湾を見渡す山麓の地に造られました。
山麓には幕末藩内抗争や戊辰戦争などで亡くなられた、多くの英霊の墓碑が祀られています。
桑山公園総合案内板

・招魂碑など
招魂碑など

招魂碑

整武隊墓碑

同上

・防府市護国神社
防府市護国神社

同上

・長州藩海軍関係墓碑
長州藩海軍関係墓碑

同上、松島剛蔵の墓碑(楫取素彦の実兄)など

・千城隊等墓碑
千城隊等墓碑

同上

・遊撃軍墓碑
遊撃軍墓碑

・散策路の野村望東尼歌碑など
散策路、カーブの左の階段を下る

同上

野村望東尼の歌碑

同上

同記念碑

・野村望東尼の墓
野村望東尼の墓

同上

同上、薩長連合軍出陣祈願の小烏神社と出帆の問屋口を望む



◇鞠生の松原&小烏神社(こがらす じんじゃ)
 室町時代は綺麗な松原の海岸線で歌にも詠まれました、有力守護大名の大内義弘は安芸・厳島神社に参詣して西下中の足利義満将軍を館を造営して歓待したと伝えられています。
野村望東尼は山口から三田尻に移り住み松崎(防府)天満宮で倒幕祈願、小烏神社神社で戦勝祈願を見届けると三田尻御茶屋近くの寓居で没し、位牌は桑山山麓の大楽寺にあり顕彰会が毎年法要を執り行っています。
鞠生の松原、説明板

小烏神社、案内板

厳島神社

・小烏神社

小烏神社

同上

幕末は華浦小学校敷地に鎮座 「現在は左の鞠生の松原、背後に桑山」



◇三田尻御茶屋・英雲荘
 蛤御門の変で長州に逃れた七卿を歓待するなど、萩藩公館として機能し萩往還の終点でもあります。最近復元修理され綺麗になりましが、有料の為に今回はご遠慮しました。また花月楼ではお茶会が催されていて、古の板ガラスの波打つザラザラ感に感服しました。
萩往還起点の三田尻御茶屋

・案内板など
三田尻御茶屋

英雲荘パンフレット(表)

同上(ウラ)

・英雲荘
英雲荘

同上

同上の外観

・花月楼

花月楼 「元の建物は萩・松陰神社内に移築」

同上

同上



◇萩藩御米蔵跡・一馬醤油
 湊に近くて利便性があり萩藩(長州藩)の備蓄米を保管していました、先の大戦では味噌醤油を一手に県内統制製造、現在も一馬醤油さんの味噌醤油が製造中です。
萩藩御米蔵跡・一馬醤油

同上

同上

同上煙突、道路右は旧運河石積?



◇住吉神社の石造燈台
 坂本龍馬が萩の久坂玄瑞に合う為の初上陸時の文久2年(1862)1月は石造燈台は建設中でした、土佐脱藩の再来時の同年3月も陸路を下関に向いました。
石造燈台は文久(1863)年の竣工で歴史を見詰め、中関(なかのせき)湊の南端海側で海運業や宿などで栄えていました。
住吉神社の石造燈台

同上

同上

住吉神社



◇三田尻御舟蔵跡
 四境戦争(大島口の戦い)では高杉晋作が三田尻御舟蔵の軍艦に乗り込み、夜陰にまぎれて幕府軍艦を大島沖で砲撃して退散させました。
近くに警固町には御舟手組頭の村上武吉(むらかみ たけよし)「小説、村上海賊の娘」の屋敷跡などがあり、吉田松陰先生も嘉永6年(1853)の江戸再遊学の折に御舟手組(長州藩海軍局)の飯田行蔵宅を訪れています。
三田尻御舟倉跡

同上

同上

同上、通勤路の石畳



◇男爵楫取素彦・美和子終焉の地など
 防府市岡村町の萩往還沿いに御屋敷跡、県立防府高等学校そばにあります。
  参考:当該ブログ2017年7月31日投稿、萩往還(鯖山峠~三田尻御茶屋)に関連記事
男爵楫取素彦・美和子終焉の地

同上

JR山陽本線・防府駅(スタート、ゴール)






 

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