下見:2015年3月12日(木)曇り、一般向、約13㎞、4名参加。
旧山陽道シリーズ①(富海~三田尻)を訪ねて
富海宿~橘坂~浮野峠~浮野宿~周防国衙跡~宮市宿
大河ドラマ「篤姫」さんがお昼を食された徳山藩領の富海宿から、旧山陽道の橘坂・浮野峠を越える。浮野半宿・周防国衙跡を経て、今年の大河ドラマ「花燃ゆ」のヒロイン文の終焉の地、毛利本藩の三田尻(防府市)の宮市宿までの歴史と自然を楽しみました。
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旧山陽道・浮野峠(うきのとうげ)地図、浮野峠の掲示板 |
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富海観光マップ、JR富海駅前の掲示板 |
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防府観光案内図、周防国分寺そばの掲示板 |
【コースタイム】
スタート・JR富海駅10:01~大和屋政助の墓10:03~JR山陽本線・中町踏切10:06~富海本陣跡10:08/10~飛船問屋大和屋政助の船蔵10:12/14~「船蔵通り」~小田海遷画伯生誕之地碑10:17~伊藤 井上両公上陸跡地・船宿入本屋跡10:19/20~富海海水浴場(トイレ休憩)10:30/35~JR山陽本線・橘坂(きつさか)第1踏切10:36~旧山陽道入口看板10:39~橘坂(たちばなさか)10:44~茶臼山古戦場・大内輝弘の墓10:49/51~「徳山藩領・毛利本藩領の境」~石畳11:00~浮野峠改修碑11:02/03~浮野峠11:11~浮野駕籠立場跡11:17~又兵衛屋敷(茶屋)跡11:18~阿弥陀寺境界石11:23~徳地屋敷跡11:25/26~春日宮常夜灯11:27~浮野半宿案内板(現:浮野公民館)11:29/30~柳川(浮野半宿と今宿の境)11:37~牟礼幼稚園まえ11:39~馬刃川の橋11:44~不許堂酒入山石碑11:47~ディオ防府東店まえ11:50~旧国道2号合流(防府市牟礼今宿1丁目)11:51~旧国道2号分れ・国衙跡交差点右折11:59~国衙史跡公園(トイレ休憩)国庁碑12:03/08~北上左折(多々良大仏堂そば)12:14~毛利庭園まえ(毛利本邸・毛利博物館)12:17~佐波神社まえ12:19/21~周防国衙跡 西北隅石碑まえ12:21~周防国分寺まえ12:25~岡本三右衛門の頌徳碑・芦憔寺12:31/32~防府天満宮大鳥居まえ12:36~ルルサス12:51~ゴール・JR防府駅12:55。
◇富海本陣(とのみほんじん)。
大河ドラマ「篤姫」放映時に、富海本陣の古文書が発見されました。篤姫さんは昼食を摂ったのに、付家老は宿泊の領収書を要求、昔の人は正直で言われた事を正確に記述、私達も見習はなくてはなりません。
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富海本陣 |
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同上 |
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同上 |
◇飛船問屋大和屋政助の船蔵。
飛船は富海と大坂を結ぶ快速船、志士達がよく乗り込みました。大和屋政助は、幕末にお公家さんや志士達を助けた奇特なお方でした。
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飛船問屋大和屋政助の船蔵 |
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同上 |
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同上 |
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同上 |
◇船蔵通り。
今の道が昔の海岸線、小舟が入り込める構造になっています。また小田海僲画伯は、「松陰自賛の肖像」を画かれた松陰門下の松浦松洞とゆかりのある先生と伝えられています。
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船蔵通り |
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同上 |
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同上 |
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小田海僲画伯生誕之地碑 |
◇伊藤・井上両公上陸跡地・船宿入本屋(いりもとや)跡。
最近まで入本屋さんの家屋は在りましたが、老朽化のために撤去され更地になりました。伊藤・井上両公は英国に密航していましたが、四ヶ国連合艦隊と長州藩の馬関戦争止戦のため英国軍艦で急遽帰国し、姫島から小舟で富海海岸に到着しました。入本屋さんで天丼を食べ衣裳を整え、いそいで山口の藩庁に向ったと伝えられています。
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伊藤・井上両公上陸跡地・船宿入本屋跡 |
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同上 |
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同上、石碑 |
◇富海(とのみ)海水浴場。
此れから山道に入ります、トイレをちゃんと済ませましょう。夏は海水浴場として沢山の人出、海小屋で食するエビは生ビールに良く合います、前述の伊藤・井上両公が入本屋で食べた天丼はきっと富海の美味しいエビ入り。
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富海海岸 |
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同上、姫島が見える? |
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同上、南側。 |
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同上、北側。中央鞍部が旧山陽道・浮野峠 |
◇橘坂(たちばなざか)。
中世から近代までは橘坂越え道、明治からは国道2号と山陽鉄道(現:JR山陽本線)が出来て旅人は随分と楽になりました。また手懸岩(てかけいわ)からの眺めがよく、古の旅人の歌に詠まれています。
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左:旧山陽道・橘坂、 右:旧国道2号線 |
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橘坂、案内板 |
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富海海岸を望む |
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左から、JR山陽本線、明治の国道2号線、昭和の国道2号線を望む |
◇茶臼山古戦場・大内輝弘の墓。
中世の大大名、大内氏の最後の地で哀愁漂うところです。
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茶臼山古戦場 |
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大内輝弘の墓 |
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同上 |
◇浮野峠。
地域の方々のご奉仕で道が整備され、石畳や木々・竹林に囲まれ自然豊かです。
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浮野峠 |
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同上、石畳 |
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同上、記念碑 |
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浮野峠の頂上 |
◇浮野駕籠立場跡。
国道2号バイパスに面した高所で防府市街が見渡せる、浮野半宿の東隅で茶屋もあり。これより穏やかな下り坂で楽に歩けます。
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浮野駕籠立場跡 |
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左:旧山陽道、 右:国道2号バイパス |
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駕籠立場付近。旧山陽道は左下、右上は国道2号線バイパス橋りょう |
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又兵衛屋敷(茶屋)跡 |
◇徳地屋敷周辺。
徳地屋は大名の休憩所の旅籠屋でした、付近に阿弥陀寺境界石や春日宮常夜灯があります。
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右:阿弥陀寺境界石 |
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徳地屋敷手前 |
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徳地屋敷跡 |
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春日宮常夜灯 |
◇浮野半宿。
東は浮野駕籠立場から西は柳川までの区域、富海宿と宮市宿の間にあり半宿と呼ばれています。
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浮野宿説明板(浮野公民館まえ) |
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同上、部分拡大 |
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遠くに柳川を望む |
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右端が浮野宿端の柳川、正面は工事中の防府環状線 |
◇今宿(いまじゅく)。
柳川から周防国衙の間、読みのどおりの新しい今の宿です。
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柳川の橋上から今宿を望む |
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馬刃川(まてがわ)の上流を望む、下流の岸見は大内氏渡来伝説 |
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石柱、お寺の入口か? |
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合流の旧国道2号を望む |
◇周防国衙跡周辺。
周防国の国庁跡で史跡公園、今も発掘調査が行われています。
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朱雀大路の周防国衙跡石碑、旧国道2号を右折分れ |
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周防国衙跡史跡公園 |
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国庁碑 |
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発掘調査中 |
◇佐波神社周辺。
周防国の総社、近くに周防国衙跡の西北隅石碑など。
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佐波神社 |
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同上 |
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同上 |
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周防国衙跡 西北隅の石碑 |
◇周防国分寺。
国分寺で現存するのは僅か、長くて白い塀が続きます。最近は金堂が修復されました。
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周防国分寺 |
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同上 |
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同上。瓦は時代の違う文様があり、注意して観察する楽しみ |
◇岡本三右衛門。
幕末に坂本龍馬や久坂玄瑞などを援助した、歴史に埋もれた方で再評価される事を望みます。
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岡本三右衛門頌徳碑 |
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同上 |
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同上、芦憔寺(ろしょうじ) |
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同上 |
◇宮市と防府天満宮大鳥居。
宮市宿(みやいちじゅく)の中心は防府天満宮、日本で最初に菅原道真公を祀った神社です。
中世から栄えた兄部家は本陣を務めていました。
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宮市本陣兄部家 |
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防府天満宮、案内板 |
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同上、大鳥居まえ |
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ほうふ花燃ゆ周遊バス、旧山陽道と萩往還の分岐点の大鳥居まえ |
◇JR防府駅周辺。
近くのルルサス2階に、「ほうふ花燃ゆ 大河ドラマ館」があります。
志士闊歩の地・防府は、大河ドラマ「花燃ゆ」のヒロイン文と夫の楫取素彦終焉の地です。
大楽寺南墓地に夫妻のお墓があり、市内にはゆかり地が多く案内板も一新され「ほうふ花燃ゆ周遊バス」が走り周っています。
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ルルサス、2階多目的ホールに花燃ゆドラマ館 |
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同上、防府おみやげ館 |
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JR山陽本線・防府駅 |
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