上関に四階楼、旧上関番所、村上水軍の上関城跡を訪ねて
「ウオーク後のお楽しみ。鳩子の湯で汗を流し、瀬里家ブエルトの料理を堪能」
上盛(かみさかり)山展望台眺望。 左下の岡:上関城跡、中:四階楼と室津港、中右:上関大橋と砲台跡、左上:皇座山 |
中:上関港・上関町役場方面、右上:上盛山展望台(山上の白い灯台風) |
*スタート前。
定刻の9:36に防長バス到着。「鳩子の湯」さんのご厚意で10時の開店前にトイレを借用、皆さんも大変感謝していました、誠にありがとう御座いました。
ストレッチ会場の四階楼まえ広場、建設中の「道の駅かみのせき(名称?)」を眺めながら。
防長バス、鳩子の湯前に定時到着 |
ストレッチ会場の四階楼前 |
同上、ストレッチ |
【コースタイム】 注:ストレッチ場確保の為、スタートを鳩子の湯前バス停から四階楼前に移動。
スタート・四階楼前9:52~四階楼(見学無料)9:52/10:06~肥後屋敷跡10:07/08~常満寺・大イチョウ10:10/12~県道23号線合流10:16~吉田松陰碑10:17/18~上関大橋10:18/22~旧砲台跡10:22/25~県道23号線分れ10:29~旧上関番所(トイレ休憩)10:33/45~阿弥陀寺前10:46~十字路左折10:48~(古い町並み)~上関町役場前10:49~竃八幡宮10:50/11:00~明関寺跡(旧上関小)11:00/01~上関町観光協会前11:04~菅原神社11:08/09~町道分れ・階段上る11:13~上関城跡(城山歴史公園)11:17/23~上盛山展望台入口分れ・左折11:35~六地蔵11:40~大川(井戸)11:42~上関町役場前11:43~上関航路待合室(トイレ休憩)・鳩子てんぷら11:46/51~(ヤンマージーゼル・漁具?)~特産物センター11:55/12:00~上関大橋12:04/07~上関大橋下12:08~ゴール・鳩子の湯温泉前バス停12:10。
参考:上関町観光協会パンフレット「かみのせきへ よおおいでちゃったのう!」
詳しくは、上関町観光協会HP http://www.kaminoseki-kanko.jp/
古来、上関は「竃関(かまどがせき)」といわれ、瀬戸内海をゆきかう船が、風待ち・潮待ちのため立ち寄り、港は大変なにぎわいをみせていました。
往時のおもかげが、今も町のあちこちに残っており、潮風に吹かれながら歩いていると、先人たちの息ずかいが、どこからか聞こえてくるようです。
ー室津上関さおさしゃ届く なぜにとどかぬ我が思いー 高杉晋作
しばし、上関海峡を眺めながら、昔のロマンにひたってみませんか。◇四階楼。定員40名の為、参加者35名を二班に分割、無料につき全員見学しました。
オランダ建築、モダンな姿と豪華な内装で、当時の人々の目を引き付け、遠方から弁当持参で見物に来る人もあったとか。外見は白壁に配された縦長の窓、壁の隅に施された塗り彫刻が洋風らしさを引き立てる。内装は華麗そのもの。三階の壁には唐獅子と牡丹の塗り彫刻。四階の天井には塗り彫刻の鳳凰が翼を広げており、窓にはドイツから輸入したステンドグラスが使われている。
注:四階楼パンフレット及び上関町HPは、フランス製のステンドグラスと記述。
【肥後屋敷跡】 萩藩の本陣だった。祖先は熊本に住んでいた。室津で酒の販売などを始め、庄屋など地域の世話役も務めた。幕末には桂小五郎ら多くの志士が宿泊。また、長門の国萩藩領に下った七卿のうち五卿が、肥後屋に泊った。
四階楼の内部見学、四階から呼びかける人がいました |
四階楼前、今年11月完成予定の「道の駅かみのせき?」 |
◇常満寺の大イチョウ。
樹齢千年といわれる。樹高30m、根元付近の周囲約10m。地表近くの幹から細い枝が取り巻くように生えているのが特徴。江戸時代、上関海峡を通行する船の目印となった。
常満寺門前 |
常満寺の大イチョウ |
県道23号線から、鳩子の湯を望む |
◇吉田松陰碑。
1853年(嘉永6)脱藩の罪を許され江戸への遊学の途中松陰は、室津日和山に立ち寄り砲台を見学。浦賀で黒船を見た松陰は「まず敵を知ること」と考えた。同年長崎にロシア船の入港を聞き長崎に向う途中室津により歌を詠む。その詩碑が日和山にある。
【旧上関砲台跡】 幕末、大砲数門をすえ、幕府軍の攻撃にそなえた。第二次長州戦争大島口の戦いが始まり、上関海峡に幕府艦富士山丸が攻めてきて、室津白浦に砲弾を打ち込んだ。砲台から攻撃の記録は無い。
吉田松陰碑、上関大橋の室津側たもと |
同上 |
◇上関大橋。
昭和44年に完成した。全長180余m。この橋の完成で島の人々の暮らしは大きく変わった。大橋の上から眺める風景は格別で、特に朝日は、素晴らしい。
往古は、この海峡を遣唐使・遣隋使・朝鮮通信使・上使・参勤交代・北前船など多くの帆船が行き交い、上関は風待ち、潮待ちの人で賑わった。
上関大橋 |
同上、柳井市の平郡島を望む |
同上、上関港を望む |
◇旧上関番所。
正徳元年、四代から上関に移された。番所には、三田尻から御船手組から役人が派遣され、海上の警備、積み荷の点検など行った。
【御茶屋跡】 約三千坪あった。元は浦氏の館だったといわれる。江戸時代、萩藩の迎賓館として使用され、藩主はもとより参勤交代の諸大名、幕府の使者、朝鮮通信使なども宿泊した。
明治三年解体、長屋門など一部は入札にかけられました。この御茶屋の大きさは、御番所に展示されている御茶屋仕構図(複製)で知ることができる。
旧上関番所 |
同上、取調べ中?(休憩中) |
同上、上関海峡を望む |
◇古い町並み。
もっとも栄えたのは江戸時代から明治時代にかけてである。江戸後期、上関・室津にも北前船が立ち寄り、越荷会所を通じて商品の取引が行われた。
町並みには、今も北前船で栄えた商家が現存しており、往時のおもかげをしのぶことができる。
阿弥陀寺前 |
同上、階段を降る |
古い町並み、梲(うだつ)のある家屋 |
◇竃(かまど)八幡宮と明関寺(みょうかんじ)跡。
『この項は室津・上関 歴史観光マップ参考』 神亀年中(724~728)、長門国二宮が神託で筑前香椎宮から気長足姫尊を観請しました。その由来の霊異なことを聞いて、857年(天安元)に香椎宮の分霊を奉祀し、それより竃八幡宮と称するようになりました。
町内最古の神社であり、10月15日に近い日曜日に行われる例祭では神輿と山車が道中を練り歩きます。
竃八幡宮、階段を往復 |
同上、参道の石塔 |
同上、扁額 |
同上、棟札? |
明関寺跡、石柱 |
同上、案内板 |
◇上関町観光協会 新しい☎ 080-2898-2014。
コースの選定や資料・助言を頂き、大変ありがとう御座いました。お陰さまで無事に実施することが出来、お土産も沢山買って恙なく終了しました。
HP検索 ⇒ 上関町観光協会
http://www.kaminoseki-kanko.jp/
上関町観光協会、今年6月にギャラリー武内に移転 |
室津・上関 歴史観光マップ(表)コピー |
◇菅原神社。
祭神は菅原道真。室町時代、水軍武将村上義顕が城山の頂きに城を築き、孫の村上対馬守武満の時に、この城の鎮守として勧進した。
菅原神社 |
◇上関城跡(城山歴史公園)。
『この項は室津・上関 歴史観光マップ参考』 中世の村上水軍にかかわる山城で城山(海城)の山頂部に位置します。村上水軍は南北朝から戦国時代にかけて瀬戸内水軍の一つで、能島・来島・因島の三家より成り、三島村上氏と呼ばれていました。1568年(永禄11)の毛利氏の九州攻めにあたり、能島村上武吉(むらかみたけよし)が上関に在城しました。現在は城山歴史公園として整備され、高台から上関海峡を望むことができます。
*おまけ情報。
村上武吉は、今年の書店員が選ぶ本屋大賞「村上海賊の娘」のヒロイン景(きょう)の父親で、お墓は山口県周防大島町・内入(うちのにゅう)の元正寺(げんしょうじ)に立派な法篋印塔があります。また、ヒロイン景と一緒に木津川合戦で信長軍と戦った弟の村上景親のお墓は同町・和田の正岩寺(しょうがんじ)にあります。
上関城跡 |
書籍 村上海賊の娘 |
上関城跡、村上海賊の物見台 |
同上、平生町の佐合島を望む |
同上、城門 |
◇山道から市街に降る。
上盛山入口、左折して市街へ降る |
降り道、左は農業用井戸 |
町役場横を直進、町道と合流左折 |
◇上関航路待合室(トイレ休憩)と、鳩子てんぷら。
上関航路待合室&鳩子てんぷら |
鳩子てんぷら、お土産を沢山の人が買う |
同上 |
◇上関(長島)から室津への帰路。
ヤンマージーゼル |
漁具・・・ |
特産物センター、此処でもお土産を求める |
お土産を抱えたウオーカー、重さで上関大橋が落ちそう? |
ゴール、鳩子の湯温泉前バス停 |
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・トピックス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ウオークのアフターは温泉と食事を堪能しました。
HP検索 ⇒ 鳩子の湯
http://www.hatokonoyu.jp
上関海峡温泉 鳩子の湯、玄関 |
同上、パンフレット(裏)コピー |
同上館内、瀬里家プエルトの海鮮丼 |
◎宣伝:当該 下見ブログ紹介、下見2014.07.14(月)「投稿2014.07.28(月)」。
「ブログ 山口ウオーキング予定」 当ブログの右欄 ブログアーカイブ該当をクリック
検索 ⇒ 下見:山口西京ウオーキング協会2014年9月例会
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