2018年4月15日(日)小雨・曇り・晴れ、健脚向、約15㎞、17名参加
担当:山口西京ウオーキング協会
500選35-05 萩往還(小佐波P~山口)
萩往還の旧R262号の「山の辺」の道、明治維新150年の歴史が漂う道です
昨年のコースは小佐波(おさば)Pから萩往還終点の三田尻御茶屋(英雲荘)、今年は小佐波Pから昔は国鉄バス(現在、JRバス)が通った旧R262号を辿りながらJR山口駅へと向いました。
お天気が段々回復する新緑の中で、明治維新の陰の脱退諸士招魂碑や、毛利敬親公の懐刀として活躍した杉孫七郎生誕地など巡りました。
*道案内の参考マップ:検索 ⇒ 萩往還ルートマップ 「全長53㎞をPDFで6分割」
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萩往還道しるべ&説明板 「小佐波P:スタート地点」 |
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同上の説明板 |
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「萩往還ルートマップ」 PDF6分割をHP取得出来ます |
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小鯖八反田(おさば はったんだ)、新設の萩往還説明板 |
【経 路】 健脚向、約15㎞
スタート:小佐波P10:10~洞道北口バス停前10:13~R262号・ニッケン前交差点(横断歩道)10:37~萩往還道しるべ・禅昌寺入口10:37~ローソン「水分補給、トイレ休憩」10:45/50~八反田の萩往還説明板(新設)11:01/03~吉岡一味斎遭難碑11:08/09~R262号合流・英語保育園前11:12~R262号分れ・鳴滝交差点11:14/16~萩往還道しるべ・馬頭観音11:18~地蔵様11:28~総塚・六地蔵10:30/32~八幡宮11:34~六地蔵11:41~高郷堂の馬頭観音11:42/45~柊神社11:53/55~矢野テント前T字路・山口IC料金所前11:56~山口ICの3連続函渠11:58/12:00~R262号・柊交差点そば12:02~柊獄舎刑場跡(脱退諸士招魂碑、大村益次郎医学碑、六地蔵)12:03/08~R262号・柊横断函渠12:10~R262号・柊交差点(歩道)12:11~R262号分れ・ナフコ前交差点12:16~ザ・ビッグ大内店「昼食」12:18/13:00~大内郵便局前交差点13:07~大内地域交流センター前バス停13:17/19~仁保川・氷上橋13:22/23~地蔵様・猿田彦太神13:26~杉孫七郎生誕地(鮎川義介生誕地)13:29/32~山口太神宮石灯籠13:34~福田侠平の墓を遠望(山根観音そば)13:35/37~乗福寺入口13:44~県道21号線・大内御堀交差点13:50~セブン「水分補給、トイレ休憩」13:51/56~山口外郎元祖・福田ういろう跡13:57/59~県道21号線・宮島町交差点14:00~厳島神社14:05/08~鰐石橋14:09~鰐石の重岩14:09/10~古の味噌 醤油看板14:11~JR山口線・鰐石踏切14:12~県道194号線・黄金町交差点14:13~ゴール:JR山口駅14:19
◎午前中のウオーキング
小佐波Pでストレッチ後にスタート、雨も止みお天気は回復しそうです。山口市小鯖(やまぐちし おさば)の「山の辺の道」から、中世守護大名の大内氏の山口市大内(やまぐちし おおうち)まで、弱風の中で爽やかウオーキング。
二躰の馬頭観音様にご対面、頭に馬を乗せた御方と馬の字を頭上に掲げられた御方でした。
・小佐波(おさば)P~小鯖八反田(おさば はったんだ)案内板
洞道北口(どうどう きたぐち)バス停前を通り、R262号・ニッケン前交差点の横断歩道を渡り長閑な田園風景を眺めながらウオーキング。
小鯖八反田説明板は新設され、ベンチも設置されていました。
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小佐波Pから進行する山口方面を望む。 左奥にトイレ、左手前に飲料自販機 |
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山口方面を望む、R262号ニッケン前交差点の横断歩道を渡った先 |
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同上、ルート案内板 |
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萩往還道しるべ側、禅昌寺入口の石碑 |
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小鯖八反田の萩往還説明板、新しく出来てベンチもあります |
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同上(全景) |
・吉岡一味斎遺跡~道しるべ・馬頭観音
昔も今も変わらずに色々な出来事を示す吉岡一味斎遺跡、所々で道が広く改修され山陰が少なくなり山賊のでそうな雰囲気が?。一旦は英語保育園前前でR262号に合流、鳴滝交差点で径の萩往還に戻ります。
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吉岡一味斎遺跡、説明板 |
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同上、祠と石碑 |
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R262号鳴滝交差点、分れて正面の径を進む |
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川端のルート案内板 |
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萩往還道しるべ、馬頭観音 |
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同上の馬頭観音、頭の上に馬を乗せていらっしゃいます |
・鯖地のルート矢印~境の高郷堂
反対方向から元気なウオーカー出現、関西地方から仲良し仲間数人と萩往還を二日かけて踏破されるそうです、エールを交感して歩きだしました。
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ルート矢印 |
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総塚と六地蔵 |
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八幡宮 |
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コース矢印、山道側の高須堂に馬頭観音 |
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高須堂の馬頭観音 |
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同上の馬頭観音、頭上に馬の文字 |
・柊神社(ひいらぎ じんじゃ)~中国自動車道山口IC函渠
柊神社から矢野テントそば山口IC料金所の下を潜りながら函渠を三つ進む。高台の柊獄舎刑場跡は大内中グランド裏、維新後の哀史が刻まれています。
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柊神社と萩往還の説明板 |
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柊神社 |
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矢野テント先のT字路左折、正面奥は中国自動車道山口IC料金所 |
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山口IC下の函渠を三つ潜る |
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萩往還を外れ、右の坂道上の柊獄舎刑場跡に向う |
・柊(ひいらぎ)獄舎刑場跡
明治維新後に奇兵隊などの諸隊がリストラに遭う、反乱軍となり鎮圧され斬首された空しい鎮魂の地に、脱退諸士招魂碑などが建立されました。
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柊獄舎刑場跡 脱退諸士招魂碑、大村益次郎医学記念碑、六地蔵 |
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脱退諸士招魂碑、説明板 |
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同上の石碑 |
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大村益次郎医学記念碑、説明板 |
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同上の石碑 |
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六地蔵、説明板 |
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同上の地蔵様 |
・柊交差点手前~ザ ビッグ大内店(昼食)
柊獄舎刑場跡の高台から反時計回りに半周して下る、R262号函渠を潜り柊交差点へ上がる。
R262号歩道をナフコ前交差点からザ・ビッグ大内店。昼食は各自がスーパー・食堂・パン屋さんで摂りました、弁当持参の方はベンチで食べられたそうです。
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柊獄舎刑場跡からR262号に下る、右側の函渠で潜る |
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函渠からR262号柊交差点に、道しるべを観ながら坂を上る |
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同上 |
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R262号柊交差点から、先ほど通過した山口ICを振り返る |
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ザ・ビッグ大内店、R262号歩道から進み昼食 |
◎昼食後、午後のウオーキング
中世守護大名の大内氏、地名のとおり所縁の寺社が大内に多く残ります。明治維新関連は毛利敬親公の懐刀の杉孫七郎生誕地、奇兵隊軍監の福田侠平の墓など。産業界からは山口日産自動社TVCMでお馴染み、日産コンツェルン創設の鮎川義介生誕地などがあります。
・ザ ビッグ大内店~氷上(ひかみ)の地蔵様
市道の歩道は構造物(ラインのみ)で分離されていません、萩往還(旧262号線)は買い物の自動車などが多いので、交通安全に気をつけて歩きましょう。
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ザ・ビッグ大内店西側出口、右折して萩往還を山口へ |
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右側を大内郵便局まで進む |
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趣のある旧家 |
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大内郵便局前交差点からは左側を進む |
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仁保川・氷上橋橋詰のコース矢印 |
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地蔵様と猿田彦太神 |
・杉孫七郎生誕地など
大内 氷上(ひかみ)で生まれて杉家(松陰先生の杉家と無関係)に養子に、長州藩では長州ファイブより先に訪欧して下関戦争(攘夷・馬関戦争)の講和に尽力、幕末の毛利家を明治の繁栄へと導きました。
*杉孫七郎の関連資料
古文書 : 提供 「ふるさと夢資料館」 、阿知須いぐらの館 展示
(展示終了) 〈掲載許可済み〉
取材記事が朝日新聞 山口13版S(P33)2018.02.27 : 『ふすまの中から「極秘」古文書 西南戦争の新事実? 実は下関戦争の情報か』に掲載されました。
杉孫七郎は陸路で戊辰戦争に出陣、薩長連合軍は海路で三田尻から出帆しました。通説では薩長連合軍の海路のみの出陣、別働隊があり陸路で鳥羽・伏見に向った事を目の当たりに観て、とても感激いたしました。
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古文書、杉孫七郎は陸路戊辰戦争出陣 |
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同上の展示説明(部分拡大) |
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杉孫七郎生誕地を萩往還を挟んで望む |
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鮎川義介生誕地の石碑(日産コンツェルン創設) |
・山口太神宮石灯籠~乗福寺入口
少し離れた山根観音堂そばに奇兵隊軍監の福田侠平の墓、立木に彫られた木喰仏(もくじきぶつ)萩往還沿い道路下、公園にはトイレが設置(地元の方に教えて頂く)されています。
少し先の乗福寺は大内氏所縁で大伽藍のあるお寺でした、寺社は何故か萩往還の北側(山側)にあります。
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山口太神宮の石燈籠 |
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案内板 山根観音堂、奇兵隊軍監・福田侠平の墓、木喰仏 |
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山根観音堂の遠望 |
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萩往還の道路下(南側)に公園トイレ |
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右上に乗福寺の案内板 |
・県道21号線 大内御堀(おおうち みほり)交差点~厳島神社(いつくしま じんじゃ)
旧R262号(県道21号線)の交差点手前の右歩道を進み、宮島交差点で右折し径を鰐石橋方面へ。幕末の毛利氏が萩城から山口城(現県庁)に移転(移鎮)した為、厳島神社は此の地に遍座(移転)させられました。
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大内御堀交差点を振り返る |
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山口の外郎(ういろ)元祖、福田屋の重厚な縁台に座る |
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宮島町交差点から、径の萩往還へ |
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厳島神社の説明板 |
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同上の厳島神社多宝塔 |
・鰐石の重岩(わにいしの かさねいわ)~JR山口駅
古に大内氏が京都から取り寄せたと言われる宇治のゲンジボタル(源氏蛍)が乱舞していましたが、近年は近くの一の坂川で復活してホタルが乱舞しています。鰐石橋の下り坂は少し前まで石畳が残っていました、今は古の看板「味噌・醬油屋」と数件の旧家に往時を残します。
*参考情報:山口市のアプリ 検索 ⇒ ぶち山口市
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鰐石の重石 |
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同上、左は鰐石橋 |
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古の看板 |
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旧家 |
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朝は小雨、ゴールのJR山口駅 |
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維新150年 山口市のアプリ
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