2019年12月4日水曜日

2019年11月 史都萩を愛する会 第72回例会(阿武町奈古 現地研修会)8,810歩


2019年11月16日(土)晴れ、20名参加 サポートは事務局、阿武町の郷土史家&樹木医さん


~ 奈 古 を 歩 く ~
旧徳山藩領・奈古のまちを歩きながら、歴史・文化に触れませんか
 
 
 阿武町ボランティアの方々のご協力により、石州街道 仏坂道の歴史ある奈古(釜屋と奈古浦)の町並みを熱心に学習散策しました。本陣跡は空き地で、ノルエー式近代捕鯨の岡十郎生家跡を眺め。耐火煉瓦工場跡で説明と郷土史家さんの持参された原料「ろう石」を触らせて頂き、法積寺(ほうしゃくじ)は蓮寺で有名で今回は写真で堪能し貴重な棟札を拝見させて頂きありがとうございました。また地元の皆様に大変お世話になり、大変ありがとうございました。
午後は阿武町町民センターで美味しい食事と歓談、食後は奈古文化展を楽しく拝見。大覚寺に徒歩で向い貴重な尼子義久像を拝見し、ビャクシン(白杉)巨樹を樹木医さんの解説を受けました。鶴ヶ峰八門宮はムクノキ・クスノキや杉の大木があり此処でも樹木医さんの解説、八幡宮は奈古領主の徳山毛利家の家紋が林間に輝いていました。
締めは全国道の駅発祥の駅「道の駅 阿武町」でお土産、奈古のポ・ヤシロさん「松風」と萩の夏みかん菓子を買い求めました。
萩で見掛ける松栄堂菓子店「毛利の殿さま巻」&角の八代本店などが奈古浦で見掛け、「蒸気まんじゅう」の販売コーナーを道の駅阿武町で発見、甘いもの大好きには大変興味のある情報を得ました。
道の駅 阿武町でミーティング

奈古 釜屋の町並み

尼子義久公の墓  本覚寺

阿武町ガイドマップ  「奈古エリア」
 
 
 
【タイムテーブル】 例 : ⇒ マイクロバス移動、~ 徒歩移動
 萩市役所P9:01⇒道の駅阿武町9:18~同左ミーティング9:29/50~郷川の人道橋橋詰9:53/57~人道橋(元はバス通り)9:57~釜屋の辻(西端)9:58~〈釜屋の町並み〉~釜屋の辻(東端)10:07~〈奈古蒲の町並み〉~松栄堂・白井表具店前9:11/17~奈古蒲の三ツ辻(奈古市へ至る)10:24~角の八代本店10:24/28~本陣・御茶屋跡10:29/36~岡十郎生家跡10:39~天津園10:43/47~耐火煉瓦工場跡10:47/11:00~〈径〉~法積寺11:08/41~〈径〉~奈古蒲の奈古漁港(天津磯)11:49/51~〈路地〉~新しい宿屋(TV放映)11:53~小川11:59~釜屋に合流12:00~釜屋の辻(西端)12:01~郷川の人道橋12:02~温水プール前12:03~道の駅阿武町12:06⇒阿武町町民センター(昼食、奈古文化展)12:13/13:11~本覚寺13:14/53~阿武町町民センターP13:55/57⇒鶴ヶ嶺八幡宮14:01/40⇒道の駅阿武町(お土産)14:47/15:16⇒萩市役所P15:38


Ⅰ、市役所Pをスムーズに出発、R191号の北長門海岸を眺め東上して道の駅阿武町に到着。
 真っ先に必須のトイレ休憩、後に奈古湾に浮かぶ男鹿島と女鹿島の脇で観ながらガイダンス。
 河村公昭氏「萩・阿武の中世風土記」参加者全員に贈呈、皆様の謝意を忖度して投稿しました。
萩市役所

道の駅 阿武町

同上、椅子に座り説明会

河村公昭氏の帽子姿、右端は鮮魚運搬車

A5判、238P、¥1,500円 萩博物館で購入

道の駅阿武町、鮮魚販売前の開門を待つ方々


Ⅱ、郷川の歩道橋橋詰めに於いて、明治時代の古い地図による町並みの説明。
 歴史の参考書には「歴史の道調査報告書5 石州街道」、仏坂道の項目が良いと思います。
上記報告書は絶版です図書館で見てください、本文中の名称を参考にして記述しました。
郷川の歩道橋の左岸橋詰め

歴史の道調査報告書5 石州街道、A4判 396P、¥3,000円

郷川の歩道橋を渡る、先線に釜屋の町並み

歩道橋を振り返る、現R190号の新道が出来るまで橋幅は広く(橋台幅)バス運行

釜屋の辻(西端)、右奥に中村家住宅が少し見えます


Ⅲ、釜屋(南・北)の町並み
 江戸期の建物が西側の釜屋北に偏在、明治・大正期の建物が左右に並んでいます。
中村家住宅、江戸期の改造  「釜屋北」

明治・大正期の建物  「釜屋北」

同上  「釜屋北」

同上、商家軒先の張り出し  「釜屋南」

同上、大八車  「釜屋南」

釜屋の町並み、辻東端三差路の辻から振り返る。  左は釜屋南、右は釜屋北


Ⅳ、奈古浦西の町並み
 左右に明治・大正・昭和期の建物、江戸時代の建物は河野酒造の一部にあります。
釜屋の辻(東端)から奈古浦西が左右、左上の煙突は河野酒造

古の看板  「奈古浦西」

河野酒造の煙突  「奈古浦西」

松栄堂菓子店「毛利の殿さま巻」、明治期  「奈古浦西」。 右隣り白井表具店 

白井表具店、明治期  「奈古浦西」。  隅切りされた曲折部 

八祥園、明治期  「奈古浦西」

阿武の鶴酒造合資会社、明治期  「奈古浦西」

同上

同上

三好家、昭和期  「奈古浦西」

左右に奈古浦西の町並みを振り返る、左手前から三好家・阿武の鶴酒造・八祥園


Ⅴ、石州街道の三ツ辻(御行程記に表示)より、北西の町並み散策
 三ツ辻を無視して直進すると左側は奈古浦西、左側は奈古浦東で突き当りに了雲寺、右隣りが本陣跡(奈古御茶屋・勘場)、その右隣に法積寺があります。
右折すると奈古市(北・南)に向う、今回は歩きませんでした。

角の八代本店、大正期  「奈古浦西」。  奥突き当りに了雲寺の屋根が見えます

右は後根クリーニング、昭和期  「奈古浦東」。  紅白幕クリーニング作業中

了雲寺、明治期。 見学はしませんでした

同上


Ⅵ、本陣跡(奈古御茶屋・勘場)など
 了雲寺と法積寺に囲まれた場所ですが、今は往時を偲ぶものは何もありません。
ノルエー式近代捕鯨(長門市仙崎に記念碑)の岡十郎氏生誕地を眺め、天津霊園に酒好き御大                        
尽の趣向(酒香)ある立派なお墓と大きく雄大な三界万霊塔を参らさせて頂きました。
 参考:奈古湾は天津磯とも呼ばれ、明治時代の地図に掲載されています。    
本陣跡

左隣りの了雲寺まえ径を進む

径を進む、手前に近代捕鯨の岡十郎生家跡

天津園墓地の入口

同上、三界万霊塔

同上、酒好きのお方のお墓(部分)


Ⅶ、日本耐火株式会社跡前で耐火煉瓦のお勉強会
 郷土史家の方に耐火煉瓦の原料「ろう石」を観させて頂き、阿武町一帯で大正末から採掘・生産された溶鉱炉用の耐火煉瓦のお勉強、後に塀になった耐火煉瓦を拝ませて頂きました。
ろう石の勉強会、ニッタイコンクリート株式会社前

ろう石、耐火煉瓦の原料で阿武町一帯で採鉱

勉強会

耐火煉瓦

現在はニッタイコンクリート株会社奈古工場、生コンクリート&二次製品を生産


Ⅷ、法積寺(ほうしゃくじ)
 蓮寺で有名なお寺で天然記念物の花蓮もあります、貴重な棟札を見せて頂き大変ありがとう御座いました。また男女別の参拝入口の厳格な昔の様式を守られていますが、女人入口のみに人の昇降機が設置されていました。
山門

本堂と花蓮の鉢

花蓮の配置図

花蓮の写真
棟札

銅の法具、徳地産の銘

左側の女人入口に人の昇降機、右側の男人入口には有りません

山門を退出、左側の看板に男女の参拝入口が別々の表示
 
山門から西側(左側)の倉。 右奥に向って本陣跡、了雲寺の先は奈古湾に通じる
 
 
Ⅸ、奈古浦海岸(奈古漁港)など
 石州街道の三ツ辻を経て港町特有の狭い径をたどり奈古漁港に向う、遠くの櫛崎山城跡は尼子氏と敵対した大内氏方の須子若狭守秀国(吉見正頼家臣)が殿軍の功で城主に抜擢されました。
港ではカモメ類が沢山浮かんで、空にはトビが待う静かな景観を楽しみました
径を辿る

脇道

奈古漁港、櫛崎山城跡を指さす説明者

同上、港に浮かぶカモメ

径を巡る

脇道


Ⅹ、新しい宿屋
 径を伝いTV放映された若い人の開いた「新しい宿屋」を発見、消火栓とホース収納箱がセットで狭い道対応の消火設備も発見、奈古町の町並み唯一の小川を渡り釜屋の広い道の石州街道に出ました。
新しい宿屋、TVで放映されました

径を巡る
同上、左先に消火ホース収納の赤い箱

小川の上流を望む

小川の下流を望む、石垣の石は紫福から運んだのでしょうか?

家の隙間を通り、釜屋の石州街道の広い道に合流


 Ⅺ、石州街道の釜屋に合流、道の駅阿武町駐車場へ
 河野家対面の右端を出て石州街道に合流、朝出発した道を逆路で戻る。郷川の歩道橋から観る奈古湾に浮かぶ女鹿島と男鹿島は美しく、阿武ウオーターボーイズで有名な温水プール前から駐車場へ。マイクロバスで阿武町役場近くの阿武町町民センターへ、楽しい昼食に向いました。
「釜屋南」の河野家、明治期  反対側の径から手前の祠前に合流

お大師様、河野家の径を挟んだ右隣り

釜屋の町並み(西端)、左折して郷川の歩道橋を渡る

右は道の駅阿武町の温水プール、旧郷川は江戸時代には奥の山側にありました

歩道橋から下流の鹿島大橋、海に浮かぶ左の女鹿島と右の男鹿島(大きい方)


道の駅阿武町、温水プール案内板。  阿武ウオーターボーイズ


Ⅻ、阿武町町民センター
 中に入ると尼子氏旗の家紋が目に付き暫し拝見、昼食弁当は美味しく食べ歓談した為に写真撮影を忘れる、奈古文化展の野鳥写真などを感心しながら鑑賞しました。
阿武町町民センター玄関

周辺ごあんない

ホール
尼子義久公は奈古で没する


奈古文化展


ⅩⅢ、大覚寺
 尼子義久公は毛利氏に敗れ奈古に領地(他に紫福)を貰い此処に没する、末裔は佐々木氏を称し山口市平井への領地替えで明治初期まで存続しました。
案内板

パンフレット 1/2

  パンフレット 2/2

山門

本堂に尼子氏家紋が輝く

尼子義久公像

平川文化散歩、尼子氏末裔の佐々木氏の領地

車輪石、南無阿弥陀仏と刻まれ県下に類例がありません


ⅩⅣ、鶴ヶ嶺八幡宮
 毛利本藩の元和7年(1621)の藩内総領地替え、徳山毛利氏の領地に奈古が新たに加わりました。領内の鶴ヶ嶺八幡宮の建て替えを行い、お宮の屋根に徳山毛利氏家紋が挙がりました。
鳥居

左はクスノキ、中は衣美須神社・琴平神社・水上神社、右は鶴ヶ嶺八幡宮

鶴ヶ嶺八幡宮のクスノキ説明板

鶴ヶ嶺八幡宮拝殿、徳山毛利氏の家紋が輝く

扁額

拝殿前石段の上から鳥居を振り返る

石灯籠に上る石段、湊の石灯籠以外では記憶にありません

鳥居先で待つマイクロバス、ムクノキ大木


ⅩⅤ、道の駅阿武町
 10時の開店前に安い農水産品を求めて長蛇の列、お世話になった奈古と萩の製品をお土産に求め、参加者全員が楽しく帰路につきました。
阿武町ガイドマップ 「道の駅阿武町」 

奈古のイイトコ 案内板

全国道の駅発祥の地、お土産のレジ袋
左は奈古 ポ・ヤシロ 「松風」。  右は萩の夏みかん菓子
 

 
 
 
 

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