2018年11月4日(日)晴れ、9名参加
吉敷毛利氏と幕末巡り
菩提寺の玄済寺や居館跡。所郁太郎の墓、三条実美の尊王攘夷祈願の朝倉八幡宮など
吉敷毛利家は憲章館で学び四境の役「小瀬川の戦い」で大活躍、菩提寺の玄済寺や日本女子大創設「朝ドラ あさが来た」の成瀬仁蔵生誕地、井上馨の袖解橋遭難を外科手術で助けた所郁太郎のお墓など観て歩きました。
七卿落ちの錦小路頼徳は下関攘夷戦争視察中に没し赤妻に葬られ、七卿の三条実美など朝倉八幡宮に尊王攘夷祈願の歌碑があります。
七卿落ちの錦小路頼徳は下関攘夷戦争視察中に没し赤妻に葬られ、七卿の三条実美など朝倉八幡宮に尊王攘夷祈願の歌碑があります。
その他に湯田温泉の謂れや旧跡、新名所建設中「湯けむり横丁」などを訪ねました。
注;下見時の写真が混在しています、より分り易い方を選びました。
【経路】一般向、約13㎞
スタート:JR大歳駅10:07~JR踏切10:09~県道204号線(大歳駅前交差点)10:11~県道204号線(競技場前交差点)10:19~第18回山口国体「栄光」ブロンズ像10:24~維新公園トイレ休憩10:30/35~R9号合流10:37~R9号押しボタン横断歩道(ラグビー・サッカー場前)10:38~肥中街道合流(T字路)10:45~圓正寺前10:47~げんきやかた前10:50~澤山保羅生誕地10:52/53~肥中街道分れ(吉敷地域交流センター前)10:54~長楽寺前(T字路)10:57~憲章館址の石碑(吉敷小学校)10:58/11:00~長楽寺前11:02~T字路11:03~天神山公園・宣徳社11:07/11~菩提寺の玄済寺11:12/16~居館跡の池11:17~肥中街道合流(JA吉敷支所前)11:26~肥中街道分れ(R435号)11:34~成瀬仁蔵生誕地11:36/38~R435号押しボタン横断歩道(セブン前)11:40~R435号セブン角を左折11:42~吉敷川堤防(季節外れの桜並木)11:43/50~R435号ローソン対面11:51~刀匠二王氏の石碑11:52~ホタル塚11:53~吉敷川の良城橋(源氏ボタル説明板)11:53/55~マックスバリュ吉敷店「小腹対応、トイレ休憩」12:00/08~所郁太郎の墓12:14/20~生目八幡宮12:38/43~錦小路頼徳の墓と碑・広沢真臣の墓12:46/50~西朝倉集会所前12:55~河野商店前交差点13:00~済生会湯田温泉病院前13:03~径の交差点13:05~朝倉八幡宮・三条実美卿の歌碑、湯田温泉神社13:09/14~朝倉八幡宮御旅所13:19~R9号(総合庁舎前交差点)13:25~前田川の朝倉橋13:30~宮脇書店前13:34~肥中街道合流13:41~「湯けむり横丁」建設中13:43~長州藩茶屋臨野堂跡13:44/45~瓦屋跡13:45~西村屋跡13:47~松田屋13:48~ゴール:湯田温泉通りバス停13:51
◎スタート:JR大歳駅(おおとしえき)
JR応援駅から明治維新100年を記念して造られた、維新百年記念公園に向う。駅名は近くの大歳小学校そばの、大歳様(年神様)からと言われています。
◎維新百年記念公園
昭和42年(1967)に明治百年を記念して造られました、陸上競技場・テニス場・スポーツ文化センター(アリーナ・武道館など)・弓道場などが順次整備され、植栽・花壇が美しいく「日本都市公園100選」に選ばれた自然豊かな公園です。
◎肥中街道(ひじゅうかいどう) 1/2
中世守護大名 大内氏繁栄の対明・朝鮮貿易の肥中の湊(現、下関市豊北町肥中)、北上する街道で起点は山口の安倍橋です。西側の水路沿いを肥中方面に向う、吉敷毛利氏の四境戦争・良城隊の駐屯した圓正寺(えんしょうじ)が街道そばの東に見えます。
◎憲章館(けんしょうかん)
吉敷毛利氏の郷校、幕末から維新にかけて多くの人材を輩出しました。グランドで小学生サッカーの練習中、父兄の方々にお声掛けしてお邪魔しました。
◎天神山公園・宣徳社(せんとくしゃ)
お山に戦没者が祀られた招魂社、顕彰碑など石碑が沢山ありました。
◎吉敷毛利氏の菩提寺 玄済寺(げんさいじ)
三代毛利秀包が寛永3年(1625)に現在の下関市豊北町滝部から此の地に転封、お寺も一緒に移りました、お墓が本堂の上の背後にありますが整備中で見学しませんでした。
吉敷の元領主は毛利本家永代家老 福原氏で宇部に転封、先祖の御位牌とお墓がお寺にあり。
・玄済寺
・吉敷毛利氏墓
全て下見時の写真です、お寺の上にあるお墓は整備中で本番での見学は無し。
大内義興公霊碑の毘沙門天堂、毛利本家永代家老の福原家初代のお墓があります。
◎吉敷毛利氏居館跡
お池が部分的に残っています、現在は病院の敷地で昔は石碑がありました(今回は失念して確認出来ませんでした)
◎肥中街道 2/2
JA山口中央吉敷支店前で肥中街道合流、西側に水路を見ながら遠くに西鳳辯山(にしほうべんざん)の電波塔を望望みながら北上。
◎成瀬仁蔵生誕地
日本女子大学の創設者で毛利元昭公揮毫の石碑、「朝ドラ あさが来た」で成澤泉さんが演じて一段と有名になりました。
◎R435号のセブンイレブン境界から吉敷川右岸
R435号を南に引き返しセブンイレブン横から吉敷川へ、桜並木の露出した根の凹凸に注意しながら歩き、R435号のローソン前から石碑を観ながら良城橋詰へ。
◎吉敷川の良城橋(りょうじょうばし)
高欄に源氏ボタルの一生、良く整備された川を望み花見(桜)とホタル乱舞を妄想しました。
左岸の河傍に湯田温泉の歓迎塔があります。
◎マックスバリュ吉敷店
小腹対策などで小休止、東側から北の丘にある「三舞共同墓地」の所郁太郎の墓へ向う。
◎所郁太郎の墓
京都で幕府に追われて長州へ、大阪で緒方洪庵に学び長州藩京都藩邸の隣りで医者を開業していたご縁です。
井上馨が袖解橋で襲撃され、外科手術で助けた事が有名で井上公園(井上馨生誕地)に顕影碑があります。
◎生目八幡宮(いきめはちまんぐう)
平景清(たいらのかげきよ)伝説で目の病気にご利益があります、秋吉台の景清洞などにも伝説が残り、本宮の宮崎県宮崎市生目は平景清が壇ノ浦合戦に負け配流された処です。
◎錦小路神社(赤妻神社)
七卿の錦小路頼徳卿は下関攘夷戦争視察時に没する、お墓と碑が同志の七卿の協力で赤妻の此の地に造営されました。
◎済生会湯田温泉病院方面に向う
小山を降りて河野商店前を左折し済生会湯田温泉病院前へ、山際の径の交差点を右折して朝倉八幡宮に向う。
◎朝倉八幡宮
七卿の三条実美卿などが尊王攘夷祈願に訪れ境内には歌碑があります、湯田温泉神社も鎮座されています。
◎湯田温泉街
新名所の「湯けむり横丁」が建設中、明治維新関連などの施設を散策しました
☒ 関連参考資料
注;下見時の写真が混在しています、より分り易い方を選びました。
憲章館(けんしょうかん)、吉敷毛利氏郷校 |
玄済寺、吉敷毛利氏の菩提寺 |
朝倉八幡宮、七卿の三条実美など尊王攘夷祈願 |
【経路】一般向、約13㎞
スタート:JR大歳駅10:07~JR踏切10:09~県道204号線(大歳駅前交差点)10:11~県道204号線(競技場前交差点)10:19~第18回山口国体「栄光」ブロンズ像10:24~維新公園トイレ休憩10:30/35~R9号合流10:37~R9号押しボタン横断歩道(ラグビー・サッカー場前)10:38~肥中街道合流(T字路)10:45~圓正寺前10:47~げんきやかた前10:50~澤山保羅生誕地10:52/53~肥中街道分れ(吉敷地域交流センター前)10:54~長楽寺前(T字路)10:57~憲章館址の石碑(吉敷小学校)10:58/11:00~長楽寺前11:02~T字路11:03~天神山公園・宣徳社11:07/11~菩提寺の玄済寺11:12/16~居館跡の池11:17~肥中街道合流(JA吉敷支所前)11:26~肥中街道分れ(R435号)11:34~成瀬仁蔵生誕地11:36/38~R435号押しボタン横断歩道(セブン前)11:40~R435号セブン角を左折11:42~吉敷川堤防(季節外れの桜並木)11:43/50~R435号ローソン対面11:51~刀匠二王氏の石碑11:52~ホタル塚11:53~吉敷川の良城橋(源氏ボタル説明板)11:53/55~マックスバリュ吉敷店「小腹対応、トイレ休憩」12:00/08~所郁太郎の墓12:14/20~生目八幡宮12:38/43~錦小路頼徳の墓と碑・広沢真臣の墓12:46/50~西朝倉集会所前12:55~河野商店前交差点13:00~済生会湯田温泉病院前13:03~径の交差点13:05~朝倉八幡宮・三条実美卿の歌碑、湯田温泉神社13:09/14~朝倉八幡宮御旅所13:19~R9号(総合庁舎前交差点)13:25~前田川の朝倉橋13:30~宮脇書店前13:34~肥中街道合流13:41~「湯けむり横丁」建設中13:43~長州藩茶屋臨野堂跡13:44/45~瓦屋跡13:45~西村屋跡13:47~松田屋13:48~ゴール:湯田温泉通りバス停13:51
◎スタート:JR大歳駅(おおとしえき)
JR応援駅から明治維新100年を記念して造られた、維新百年記念公園に向う。駅名は近くの大歳小学校そばの、大歳様(年神様)からと言われています。
JR大歳駅 |
ホームのSL看板 |
レノファ応援駅 |
◎維新百年記念公園
昭和42年(1967)に明治百年を記念して造られました、陸上競技場・テニス場・スポーツ文化センター(アリーナ・武道館など)・弓道場などが順次整備され、植栽・花壇が美しいく「日本都市公園100選」に選ばれた自然豊かな公園です。
案内板 |
競技場前交差点、県道240号線 |
栄光・ブロンズ像、昭和38年(1963)の第18回山口国体 |
木崎川、野鳥「カワセミ」の訪れる自然豊かな処 |
木崎川、「憩いの水広場」夏場は子供天国 |
R9号押しボタン横断歩道、ラグビー・サッカー場そば |
◎肥中街道(ひじゅうかいどう) 1/2
中世守護大名 大内氏繁栄の対明・朝鮮貿易の肥中の湊(現、下関市豊北町肥中)、北上する街道で起点は山口の安倍橋です。西側の水路沿いを肥中方面に向う、吉敷毛利氏の四境戦争・良城隊の駐屯した圓正寺(えんしょうじ)が街道そばの東に見えます。
肥中街道に合流、T字路を北に肥中方面に向う |
肥中街道起点の安倍橋方面を遠望(吉敷川、吉敷大橋が近くに) |
圓正寺 |
澤山保羅の生誕地 |
同上、説明板 |
◎憲章館(けんしょうかん)
吉敷毛利氏の郷校、幕末から維新にかけて多くの人材を輩出しました。グランドで小学生サッカーの練習中、父兄の方々にお声掛けしてお邪魔しました。
説明板 |
石碑、背後は良城小学校グランド |
左は憲章館址の石碑、右は名井先生顕彰碑 |
名井先生の説明板 |
◎天神山公園・宣徳社(せんとくしゃ)
お山に戦没者が祀られた招魂社、顕彰碑など石碑が沢山ありました。
説明板 |
説明板 |
全景 |
百万一心石碑 |
四境役の忠魂碑 |
内海忠勝碑 |
同上、説明板 |
◎吉敷毛利氏の菩提寺 玄済寺(げんさいじ)
三代毛利秀包が寛永3年(1625)に現在の下関市豊北町滝部から此の地に転封、お寺も一緒に移りました、お墓が本堂の上の背後にありますが整備中で見学しませんでした。
吉敷の元領主は毛利本家永代家老 福原氏で宇部に転封、先祖の御位牌とお墓がお寺にあり。
説明板 |
案内図 |
山門 |
案内板 |
同上 |
本堂 毛利家位牌所、福原家位牌所 |
毘沙門天堂 三十代 大内義興公霊碑(近くの凌雲寺跡に法筐院塔) |
毛利家本家老 十三世 福原広俊墓 |
大田報助の碑 |
・吉敷毛利氏墓
全て下見時の写真です、お寺の上にあるお墓は整備中で本番での見学は無し。
大内義興公霊碑の毘沙門天堂、毛利本家永代家老の福原家初代のお墓があります。
見取図 |
同上、部分拡大 |
入口の階段 |
四代 |
十三・十四代 |
墓地から市街を望む、手前は玄済寺本堂 |
◎吉敷毛利氏居館跡
お池が部分的に残っています、現在は病院の敷地で昔は石碑がありました(今回は失念して確認出来ませんでした)
柵に囲まれた池、石碑は病院内にあります |
池を左に臨む、玄済寺参道の帰路 |
墓所から居館跡を望む、現在は病院など |
◎肥中街道 2/2
JA山口中央吉敷支店前で肥中街道合流、西側に水路を見ながら遠くに西鳳辯山(にしほうべんざん)の電波塔を望望みながら北上。
肥中街道に合流後は左折(北上)、消防機庫前で消防団の方々が訓練中 |
水路沿いの径(こみち) |
肥中街道は正面(白い自家用車)のR435号を横切る、ウオークは左折し成瀬仁蔵生誕地へ |
◎成瀬仁蔵生誕地
日本女子大学の創設者で毛利元昭公揮毫の石碑、「朝ドラ あさが来た」で成澤泉さんが演じて一段と有名になりました。
説明板 |
石碑 |
R435号から左折(西側)電柱に矢印案内、赤田バス停そば |
◎R435号のセブンイレブン境界から吉敷川右岸
R435号を南に引き返しセブンイレブン横から吉敷川へ、桜並木の露出した根の凹凸に注意しながら歩き、R435号のローソン前から石碑を観ながら良城橋詰へ。
セブンイレブン境からR435号を左に分れる |
吉敷川右岸の桜並木 |
刀匠二王氏の石碑 |
同上、説明板 |
ホタル塚 |
◎吉敷川の良城橋(りょうじょうばし)
高欄に源氏ボタルの一生、良く整備された川を望み花見(桜)とホタル乱舞を妄想しました。
左岸の河傍に湯田温泉の歓迎塔があります。
良城橋、左岸に湯田温泉歓迎塔(写真中央) |
吉敷川上流の蛍観橋を望む |
ホタルの一生 1/5 |
同上 2/5 |
同上 3/5 |
同上 4/5 |
同上 5/5 |
◎マックスバリュ吉敷店
小腹対策などで小休止、東側から北の丘にある「三舞共同墓地」の所郁太郎の墓へ向う。
マックスバリュ吉敷店、正面の山裾に「所郁太郎の墓」 |
同上 |
同上、お店の東側から北上 |
◎所郁太郎の墓
京都で幕府に追われて長州へ、大阪で緒方洪庵に学び長州藩京都藩邸の隣りで医者を開業していたご縁です。
井上馨が袖解橋で襲撃され、外科手術で助けた事が有名で井上公園(井上馨生誕地)に顕影碑があります。
説明板 |
三舞共同墓地入口 |
所郁太郎の墓 |
同上、アップ写真 |
同上 |
墓地から市街を望む |
◎生目八幡宮(いきめはちまんぐう)
平景清(たいらのかげきよ)伝説で目の病気にご利益があります、秋吉台の景清洞などにも伝説が残り、本宮の宮崎県宮崎市生目は平景清が壇ノ浦合戦に負け配流された処です。
参道入口 |
鳥居 |
本殿 |
湯田温泉街を望む |
◎錦小路神社(赤妻神社)
七卿の錦小路頼徳卿は下関攘夷戦争視察時に没する、お墓と碑が同志の七卿の協力で赤妻の此の地に造営されました。
錦小路頼徳墓、説明板 |
鳥居、神社 |
お墓と碑 |
錦小路頼徳卿の歌碑 |
広沢真臣の墓(分霊) |
同上、説明板 |
◎済生会湯田温泉病院方面に向う
小山を降りて河野商店前を左折し済生会湯田温泉病院前へ、山際の径の交差点を右折して朝倉八幡宮に向う。
正面のビル、済生会湯田温泉病院 |
西朝倉集会所 |
河村商店を左折 |
済生会湯田温泉病院の案内板 |
交差点を山沿いに右折 |
◎朝倉八幡宮
七卿の三条実美卿などが尊王攘夷祈願に訪れ境内には歌碑があります、湯田温泉神社も鎮座されています。
説明板 |
鳥居 |
拝殿 |
歌碑 |
湯田温泉神社 |
神木イヌマキ |
◎湯田温泉街
新名所の「湯けむり横丁」が建設中、明治維新関連などの施設を散策しました
湯けむり横丁、建設中 |
長州藩茶屋臨野堂跡 |
湯田温泉の由来 |
瓦屋跡 |
西村屋跡、中原中也の結婚式場 |
松田屋、明治維新の英傑や司馬遼太郎宿泊 |
湯田温泉通バス停 |
☒ 関連参考資料
明治維新策源地 山口史跡一覧「部分」 (一財)山口コンベンション協会 |
井上公園案内板(井上馨生誕地) 七卿の碑、三条実美公宿舎・歌碑。 所郁太郎 の顕影碑 |