2016年12月4日(日)雨、一般向、約10㎞、25名参加
秋穂街道と陶氏館跡ウオーク
秋穂街道(お上使道)「山口市鋳銭司~陶」 と 陶氏館跡(正護寺)
雨の降りしきる中での納会ウオーク、多くの方々に参加頂きありがとうございました。室町時代の中国地方・九州北部の太守 大内氏(おおうちし)、海路上陸地の秋穂浦(旧秋穂町加茂付近)から本拠地の山口館まで陸路「秋穂街道・お上使道」の一部をウオークしました。
正護寺「陶氏館跡の祈願所」では大内氏庶流の陶晴賢(すえはるかた)公の分骨塔、明治2年からの脱退騒動に加わった反乱兵駐留と連座した維新俊傑 富永有隣先生招魂之碑など時代の哀史を訪ねました。
*参考:(お上使道)陶峠 検索 ⇒ 山口西京ウオーキング協会2011年10月例会 お上使道
秋穂街道(お上使道)山口市鋳銭司。進行方向に、南若川(なんじゃくがわ)、JR山陽本線、R2号 |
正護寺「陶氏館跡の祈願所」、山門は小郡代官所の正門を移設 |
【経 路】
JR四辻駅9:45~大村益次郎生誕宅跡9:50/51~県道194号線分れT字路《秋穂街道に合流》9:52~地蔵様・三界万霊塔10:01~南若川(なんじゃくがわ)の橋10:07~JR山陽本線・人道踏切10:08~T字路《旧山陽道に合流、秋穂街道は重複》10:09~綾木川・綾木橋10:12~建石(たていし)10:13/14~春日神社鳥居前10:14~R2号・東陶交差点横断10:19~円覚寺前10:25~上市の恵比須社10:27~百谷川(ももたにがわ)・橋本橋《秋穂街道分れ》10:30~陶公民館(陶地域交流センター)下市の恵比須社跡前10:32~艫綱(ともつな)の森10:38~陶中央公園(トイレ休憩)《旧山陽道分れ》10:40/48~正護寺「陶氏館跡の祈願所」10:57/11:03~陶中央公園横11:11~県道335号線(旧R2号)横断11:16~JR山陽本線・川地第2踏切11:18~R2号側道・T字路分れ11:21~椹野川(ふしのがわ)・船倉橋11:42/43~JR山陽本線・新山口駅新幹線11:55
◎JR山陽本線・四辻駅(よつつじえき)周辺
山口市 鋳銭司(すぜんじ)の四辻駅をから雨中ウオーク、今回は通りませんが地名の謂れの周防鋳銭司跡では「皇朝十二銭」など鋳造していました。
東京の靖国神社の巨大銅像で有名な大村益次郎の生誕宅跡で説明板を観察、大村益次郎没後百五十年事業実行委員会からか関連本が新刊されています。
JR四辻駅 |
同上の掲示版、司馬遼太郎先生の歴史小説「花神(かしん)」 |
大村益次郎誕生宅跡、大村の姓は小字から命名 |
2016.09.10 新刊 A5版・P147 ¥1,000円(内税) |
◎秋穂街道「お上使道」
お上使道は室町幕府の管領代などを務めた太守の大内氏、都や領国の中国地方・九州北部を結ぶ主要街道でした。海路上陸地の秋穂浦(旧秋穂町)から梅ノ木峠を越え鋳銭司・陶、陶峠を越えて秋穂渡瀬(あいわたせ)から山口の大内館(おおうちやかた)に繋がる重要な道でした。
・山口市 鋳銭司(すぜんじ)地区
雨の中を黙々と足に優しい未舗装(土)道路歩きは地蔵様にお祈りして無事に通過、昔の人は足元と風雨に苦労しながら大変でしたでしょう。
雨の径 |
地蔵様と三界万霊塔 |
花の径 |
JR山陽本線、R2号と中国自動車道 山口南IC取付高架道を望む |
・山口市 陶(すえ)地区
陶の地名は近くの日吉台の陶陶釜跡(須恵器)からと言われています。陶宿(市、いち)は旧山陽道の半宿で栄えていました、建石(たていし)・春日神社鳥居・円覚寺・陶上市の恵比須社を経て百谷川(ももたにがわ)・橋本橋で秋穂街道「お上使道」と分れます。
秋穂街道「お上使道」は百谷川右岸を上流に向い、陶峠下一里塚から陶峠を越して山口へ至ります。
建石と案内板。文字が刻まれてなく、東西南北を表すと言われています |
円覚寺 |
陶上市の恵比寿社 |
百谷川・橋本橋から、上流の秋穂街道・陶峠(正面鞍部)望む |
◎旧山陽道
陶下市の恵比寿社跡は陶公民館、古墳?、艫綱(ともつな)の森を経て陶中央公園で綺麗なトイレを拝借。艫綱の森の説明板では大内氏(陶氏は庶流)先祖の琳聖太子が上陸されました、此の事から旧山陽道辺りが旧海岸線であったと思われます。
旧山陽道は北西方面の椹野川・東津橋に向いますが。ウオークは北の正護寺に向い見学、引き返してR2号(自動車専用道)沿いの側道からゴールへ。
左:陶小学校、正面:陶公民館「陶地域交流センター」 陶下市の恵比須社跡 |
小山の墓地、古墳でしょうか? |
艫綱の森、説明板 「大内氏祖先の上陸地」 |
陶中央公園、綺麗なトイレありがとうございました |
◎正護寺
臨済宗で山号は方松山、陶氏館の祈願所です。毛利元就に山口を奪われ亡滅した大内氏の大内輝弘がお家再興の反攻、叔父の大友宗麟の援助で秋穂浦に上陸して進軍途上の正護寺を焼き、陶峠から山口に進み一時は占領するも敗れて富海で亡くなりました。また、幕末に松下村塾(しょうかそんじゅく)で松陰先生を助けて教鞭を執った富永有隣の菩提寺でもあります。
・室町~戦国時代
1350年頃に陶氏二代の広政公が開山。陶氏館跡土塁がお寺の前へ少し残っていますが、陶氏は若山城(周南市新南陽)に移動して麓に陶屋敷跡があります。
正護寺 |
正護寺の説明板 |
大和尚さんのお墓と陶晴賢(すえはるかた)の分骨塔など |
同上の説明板 |
富永有隣や脱退騒動などの維新過渡期の悲劇をお寺は見詰めていたのでしょうか、大屋根廂の『白い鳩の彫刻』が平和を願っているように思われてなりません。
富永有隣の説明板 |
富永有隣先生招魂之碑 |
明治2年から、脱隊騒動の説明板 |
平和を願う、白い鳩の彫刻 |
◎ゴールのJR新山口駅新幹線口へ
未だ雨は降り止まず、初夏には麦の穂が輝く麦秋(ばくしゅう)の名田島開作を経て椹野川(ふしのがわ)の船倉橋を渡り無事にゴールに辿り着きました。
納会は駅付近の豪華宴会場?で開催、会が始まる前からの雨で今年の厄は濡れ落ち、楽しく愉快な大宴会になりました。
県道335線(旧R2号)を横断 |
以前に麦秋ウオークを開催、名田島開作 |
椹野川・船倉橋 |
ゴール、JR新山口駅新幹線口 |
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