2016年11月3日(木・祝)晴れ、約50名参加
防府の文化財建物めぐり
国登録有形文化財清水家住宅主屋ほか旧富海宿と飛船
2015年3月26日登録の国登録有形文化財清水家主屋、防府市富海(ほうふし とのみ)の歴史の勉強にJR富海駅に集合。富海史談会とアライグマ隊の皆様の説明と案内で風光明美な地を観て周りました。お陰さまで旧徳山藩領の富海の歴史を楽しく勉強して安全に周る事が出来、午前中の半日を楽しく過ごさせて頂き大変ありがとうございました。
【行 程】
JR富海駅10:00~富海海水浴場「姫島を望む」10:05/10~富海湊(西側)10:14/16~船宿入本屋「伊藤・井上両公上陸記念碑」10:18/28~JR山陽本線地下道・船蔵通り入口10:29~大和屋政助の船蔵10:31/38~国津姫神社の浜鳥居10:42/45~国津姫神社10:48/53~清水家住宅藍作業場11:00/16~清水家住宅主屋11:17/49 《流れ解散》・・・富海本陣門11:52・・・JR山陽本線・中町踏切11:54・・・大和屋政助の墓11:58・・・JR富海駅入口交差点11:59・・・JR富海駅12:01。
◎JR富海駅周辺
富海史談会とアライグマ隊の皆様の説明・先導でJR富海駅をスタート。つまみのエビの美味しい富海海水浴から姫島を望む、幕末の四ヶ国連合艦隊の下関報復攻撃を防ぐ為に急遽帰国した伊藤・井上両公が、豊後姫島沖の英国軍艦から小舟で富海に上陸し船宿入本屋に入りました。飛船(とびふね)は富海から大阪に向う小舟で利便性が良く、吉田松陰先生や高杉晋作など幕末の志士が良く乗りました。
◎伊藤・井上両公 上陸船宿入本屋跡
前述の豊後姫島から上陸した伊藤・井上両公は、卵とじエビ天丼を食べ衣裳を洋装から武家姿に換え、萩から政庁の移った山口に向ったそうです。船宿入本屋さんは老朽化により取り崩されましたが、道路を挟んだ向かいに食事処「きいさんねー」 が出来て美味しいと地元のお薦めです。
◎船蔵通り
現在の径(こみち)が江戸時代の海岸線、船蔵から直接船の出入りが出来る構造で今も石積が残り往時の様子が分ります。船蔵通り入口のJR山陽本線地下道は1.6mととても低くてユニーク、傍の小田海僊碑(おだかいせん ひ)は京都画壇で活躍された地元出身の日本画家です。
◎大和屋政助の船蔵
幕末の飛船問屋で七卿などの公家さんや高杉晋作などの勤皇の志士を良く助けました。酒を好む三条実美卿は此処の二階で潜伏中、酒造業を営んでいた清水家に使いを頻繁に出していた古文書も残っています。
◎国津姫神社の浜鳥居
鳥居に願主「飛船乗組中」が刻まれています、富海湊は二つに分れて東側は此の付近にあったそうです。
◎国津姫神社
宗像大社を礎とする海上安全と漁業の神社、飛船社中の寄進が多く往時の繁栄ぶりが伺えます。
◎清水家住宅
清水家は江戸時代前期は紺屋業、以降は酒造業を営んだ徳山藩御用達の名字帯刀の名家で、富海村の発展に尽くされました。
・清水家藍作業場
地元の染色作家の飴村秀子氏の御縁で、防府市地域協力隊のお二人が作業に勤しんでいらっしゃいます。
・清水家中庭
中庭には少し藍が植えられています、周りには可愛い番犬と古の歪んだガラス板に囲まれた静かな処です。
・清水家住宅主屋
昨年に国登録有形文化財に登録、旧山陽道に面した木造平屋建て(厨子二階)269㎡の切妻・浅瓦葺・土蔵造り、棟札は明治時代ですが江戸時代の改築との説もあります。
◎清水家で流れ解散~JR富海駅まで
清水家住宅主屋からJR富海駅までは約10分、旧山陽道の歴史を感じながら歩く。大河ドラマ「篤姫」放映時には、上洛途中に富海本陣で昼食を摂られた古文書が見つかりました。
清水家住宅主屋まえ説明 「旧山陽道沿い」 |
「富海観光マップ」 JR山陽本線・富海駅まえ |
【行 程】
JR富海駅10:00~富海海水浴場「姫島を望む」10:05/10~富海湊(西側)10:14/16~船宿入本屋「伊藤・井上両公上陸記念碑」10:18/28~JR山陽本線地下道・船蔵通り入口10:29~大和屋政助の船蔵10:31/38~国津姫神社の浜鳥居10:42/45~国津姫神社10:48/53~清水家住宅藍作業場11:00/16~清水家住宅主屋11:17/49 《流れ解散》・・・富海本陣門11:52・・・JR山陽本線・中町踏切11:54・・・大和屋政助の墓11:58・・・JR富海駅入口交差点11:59・・・JR富海駅12:01。
◎JR富海駅周辺
富海史談会とアライグマ隊の皆様の説明・先導でJR富海駅をスタート。つまみのエビの美味しい富海海水浴から姫島を望む、幕末の四ヶ国連合艦隊の下関報復攻撃を防ぐ為に急遽帰国した伊藤・井上両公が、豊後姫島沖の英国軍艦から小舟で富海に上陸し船宿入本屋に入りました。飛船(とびふね)は富海から大阪に向う小舟で利便性が良く、吉田松陰先生や高杉晋作など幕末の志士が良く乗りました。
JR富海駅まえミーティング |
姫島を望む、画面中央の水平線上で写真には現われない |
富海湊、飛船(とびふね)の説明 |
◎伊藤・井上両公 上陸船宿入本屋跡
前述の豊後姫島から上陸した伊藤・井上両公は、卵とじエビ天丼を食べ衣裳を洋装から武家姿に換え、萩から政庁の移った山口に向ったそうです。船宿入本屋さんは老朽化により取り崩されましたが、道路を挟んだ向かいに食事処「きいさんねー」 が出来て美味しいと地元のお薦めです。
船宿入本屋跡、数年前まで建物が残っていました |
同上、伊藤・井上両公上陸記念碑 |
食事処「きいさんねー」、地元食材の刺身定食がお薦めだそうです |
◎船蔵通り
現在の径(こみち)が江戸時代の海岸線、船蔵から直接船の出入りが出来る構造で今も石積が残り往時の様子が分ります。船蔵通り入口のJR山陽本線地下道は1.6mととても低くてユニーク、傍の小田海僊碑(おだかいせん ひ)は京都画壇で活躍された地元出身の日本画家です。
小田海僊碑、幕末の高名な日本画家 |
JR山陽本線地下道 |
船蔵通りの径、右(南)側が江戸時代は海でした |
同上、船蔵跡の石積が左(北)側に彼方此方に残っています |
船蔵跡の石積 |
◎大和屋政助の船蔵
幕末の飛船問屋で七卿などの公家さんや高杉晋作などの勤皇の志士を良く助けました。酒を好む三条実美卿は此処の二階で潜伏中、酒造業を営んでいた清水家に使いを頻繁に出していた古文書も残っています。
説明板 |
大和屋政助の船蔵 |
同上 |
同上 |
◎国津姫神社の浜鳥居
鳥居に願主「飛船乗組中」が刻まれています、富海湊は二つに分れて東側は此の付近にあったそうです。
鳥居 |
同上、飛船乗組中が刻まれています |
参道 |
参道傍に時代を感じる土塀 |
◎国津姫神社
宗像大社を礎とする海上安全と漁業の神社、飛船社中の寄進が多く往時の繁栄ぶりが伺えます。
国津姫神社 |
同上 |
同上 |
同上、本殿と拝殿 |
◎清水家住宅
清水家は江戸時代前期は紺屋業、以降は酒造業を営んだ徳山藩御用達の名字帯刀の名家で、富海村の発展に尽くされました。
・清水家藍作業場
地元の染色作家の飴村秀子氏の御縁で、防府市地域協力隊のお二人が作業に勤しんでいらっしゃいます。
清水家藍作業場 |
藍作業の説明板 「主屋にあります」 |
すくもづくり、藍染原料 |
同上 |
・清水家中庭
中庭には少し藍が植えられています、周りには可愛い番犬と古の歪んだガラス板に囲まれた静かな処です。
藍 |
藍の実 |
古の歪んだカラス板 |
壁に吊るした道具、何でしょうか? |
・清水家住宅主屋
昨年に国登録有形文化財に登録、旧山陽道に面した木造平屋建て(厨子二階)269㎡の切妻・浅瓦葺・土蔵造り、棟札は明治時代ですが江戸時代の改築との説もあります。
清水家住宅主屋の外観 |
国登録有形文化財登録証 平成27年3月26日 文部科学大臣 下村博文 |
清水氏寄進の幡 |
丹頂鶴の屏風 |
急な狭い階段を上ると古い道具や写真など、明治11年4月30日の棟札 |
◎清水家で流れ解散~JR富海駅まで
清水家住宅主屋からJR富海駅までは約10分、旧山陽道の歴史を感じながら歩く。大河ドラマ「篤姫」放映時には、上洛途中に富海本陣で昼食を摂られた古文書が見つかりました。
富海本陣門 |
大和屋政助の墓 |
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