2013年11月13日(水)曇り、一般向、約10㎞、下見7名参加。
新春の寺社と中世の山陽道「山の辺の道」を巡ります。
JR嘉川駅から恵比須神社までの旧山陽道、嘉川八幡宮から品川神社までの中世の山陽道「山の辺の道」。高台の古の寺社を巡りの初詣ウオーク。
中世の山陽道「山の辺の道」、浄福寺付近。右下の小郡平野(運転免許センター)は海でした |
【コースタイム】
スタート・JR嘉川駅10:00~JA前右折10:03~(旧山陽道合流)~嘉川支所・大きな地蔵様10:08~恵比須神社・嘉川市10:18/19~(旧山陽道分れ)10:20~旧R2号上嘉川横断歩道橋10:21~明正寺10:22/23~小路左折10:27~正現寺10:28/30~山陽新幹線橋下10:33~嘉川八幡宮10:41/49~一の鳥居10:53~山陽新幹線宮原橋りょう下10:56~萬福寺10:57/11:03~稽古屋公会堂11:05~山陽新幹線地下道11:06~農道合流右折11:10~農道分れ左折11:12~千見折川の橋を右折11:12~(中世の山陽道合流)~山陽新幹線地下道11:15~六地蔵11:17~お大師様前を右折11:21~浄福寺・浄福寺古墳11:23/30~旧R2号合流左折11:31~嘉川赤坂信号機左折11:32~小路右折11:33~山陽新幹線柏崎第2橋りょう下右折11:40~小路カーブミラー左折11:42~弁天池11:47~(中世の山陽道分れ)~品川神社・JAビル前11:53~R9号粟島神社信号右折12:01~粟島神社12:02~旧R2号横断歩道右折12:05~JR山陽本線人道跨線橋12:11~ゴール・JR新山口駅新幹線口12:15。
*以下の参考文献。ふるさと嘉川を歩く、ふるさと小郡 たずねある記 100選。
◇嘉川支所周辺の旧山陽道(江戸時代)。
恵比須神社の祭神は事代主神でえびす様と呼ばれる。嘉川市は近世山陽道の宿駅として栄えました。本宿の小郡・山中の間にあって半宿、幕末の頃家数が70軒あり、何んとなく昔の街道のふんい気を感じます。
JR嘉川駅 |
新装なった嘉川支所 |
支所前の、大きい地蔵様 |
右:旧R2号、中:旧山陽道、左:ドイツ菓子エーデルシュタイン |
旧家 |
恵比須神社、旧山陽道・嘉川市 |
◇嘉川八幡宮。
天平勝宝3年(751)宇佐八幡宮より勧進したと伝えられています。初め高根の宮の尾に祀られていたが、鎌倉時代の正和年間に火災により焼失、それを機に現在地へ遷されました。
嘉川八幡宮 |
同上、説明板 |
同上 |
◇萬福寺。
明治初年まで、八幡宮秋まつりの神事の一部がこの寺で行われていました。
承和7年(840)疫病のため嘉川から庸(よう)として人夫が出ることができませんでした。この釈迦堂の仏像の化身が代りとなって京に行きましたが、その折、仁明天皇のご病気をなおしたという伝説があります。
浄福寺 |
同上、説明板 |
同上 |
◇中世の山陽道「山の辺の道」。
嘉川市は中世では賀宝(かほ)駅と呼ばれていました。当時は小山が島と間違えるはど海岸線が入り込み、旧R2号の山裾にあったと推定されます。
今川了俊の「道ゆきぶり」には、香河とかや申所にとゞまりぬ、と詠まれています。
赤坂付近 |
同上、六地蔵 |
柏崎周辺 |
◇浄福寺。
大宝元年(701)役小角が入唐の折、霊夢を感じて庵を建立したことに始まるといわれています。防長風土注進案には八幡宮の別当職として、当時祭儀にたずさわっていたことが書かれています。春、秋の嘉川八十八ヶ所詣りは当寺が宰領役を勤められています。
浄福寺、左:古墳、中:本堂、右:鐘門 |
同上、説明板 |
足尾大権現(役行者) |
◇弁天池・品川神社・JAビル周辺。
弁天池は、季節になるとスイレンの花がいっせいに咲きます。奥に小さな社があり弁財天がまつられている。弁財天は七福神の一つとされる女神で音楽に神とも弁舌の神ともいわれる。
左:弁天池、右:JAビル |
品川神社 |
同上、説明板 |
◇JR新山口駅周辺。
粟島神社は、婦人病に霊験あらたかとして信仰されている。本社は和歌山県加太町に鎮座する淡島明神。元禄(1688~1703)のころ全国にひろまったという。
JR新山口駅東側の旧小郡機関庫は転車台があり、SLやまぐち号の基地です。
粟島神社 |
JR山陽本線・人道跨線橋、上:山陽新幹線 |
JR新山口駅 |
*宣伝 YSWA2014年1月例会、中世の道(嘉川~小郡) 一般向、約10㎞。
本番は2014年1月5日(日)集合:9時45分(スタート10時00分)JR山陽本線・嘉川駅。
解散:12時30分ごろ JR山陽本線・新山口駅。
当日参加受付、奮ってご参加ください。